M教授のつくりかた

この記事は ICT Advent Calendar 2014 の4日目の記事として書かれたものです.

現委員長のきっき、元委員長のなっちゃんに日々煽られながらも、学生のことを第一に考え、ICT委員会の「縁の下の力持ち」として日々努力している沖縄高専メディア情報工学M教授のつくりかたを教えます。

1. 電話級アマチュア無線技師の免許をとる(13歳)

電気回路の基礎を学ぶことが出来ます。特に抵抗のカラーコードはこの時、覚えました。今の電気回路に関する知識の80%はこの時身につけました。

2.マイコンを自作する(14歳)

雑誌「トランジスタ技術」に連載されていたマイコンを自作しました。スペックは8bitCPU、クロック2MHz、メモリ256bytesでした。 f:id:m_kyoujyu:20141204155210j:plain

3.参考書を自作する(18歳)

生物のホルモンの分野の自作参考を作りました。24ページで演習問題付き。発行部数30部ですが、某予備校で海賊版が出回りました。

f:id:m_kyoujyu:20141204163432j:plain

4.理学部生物学科に入学する(18歳)

生物学を専攻するため理学部生物学科に入学しました。入学後に入ったサークルは生物研究会でした。

f:id:m_kyoujyu:20141204160436j:plain

5.マイクロコンピュータ利用者認定試験に合格する(22歳)

合格率20.7%の難関試験でした。

f:id:m_kyoujyu:20141204155703j:plain

6.卒論発表する(22歳)

卒論テーマは「ヨトウガMamestra brassicaeの変態に伴う視覚系及び嗅覚系の発達」

f:id:m_kyoujyu:20141204155331j:plain

7.マイクロコンピュータ応用システム開発技術者試験に合格する(24歳)

現在の情報処理技術者試験の「エンベデッドシステムスペシャリスト試験」の前身となる試験です。

f:id:m_kyoujyu:20141204155629j:plain

8.修士論文発表をする(24歳)

修士論文テーマは「キタテハ季節型発現の内分泌調節機構 -stageに伴う脳内ホルモン活性の物理化学的性質-」

f:id:m_kyoujyu:20141204155531j:plain

9.原書論文を発表する(26歳)

Neuroendcrine reguration of the development of seasonal morphs in Asian comma butterfly, Polygonia c-aureum L.:Stage-depend changes in activity of summer-morphs-producing-hormone of the brain-extracts

f:id:m_kyoujyu:20141204160516j:plain


おわかりいただけましたか?

このような支離滅裂な経歴でM教授はつくられています。

希少種なので煽らないで大切に扱ってください。

高専プロコンの応募テーマがひとつだけ予選落ちした

 昨日、高専プロコンの予選の結果発表があった。

 沖縄高専は昨年に引き続き全部門通過となった。しかも、自由、課題合わせて3テーマ通過は本校史上初のことで、これから開発に向けてかつて無いデスマが予想される。

 本選には競技合わせて4チームが一関に行くことになりプロコンでの沖縄高専の存在感を一段階アップさせるよい機会にしたい。

 順調に思われる本校ICT委員会であるが、ひとつ大きな番狂わせがあった。老害4人組のテーマが予選に落ちたのである。詳細はなっちゃんのブログ記事まるさのブログ記事にあるように本人たちはかなりのショックを受けており、敗因を自分なりに分析している。

 老害組がなぜ予選通過できなかったのか、顧問視点で分析してみる。


老害組への私のコミット方針

 今年の1月に書いた「ICT委員会顧問としての2013年の反省と2014年の目標・方針」(半年も記事を書いてない事を再認識!)にあるように、積極的に私から関わることはしないようにし基本的に放置した。もちろん、相談や意見を求められたときには喜んでディスカッションしたが細かい指示はせず、活動が低迷していると感じたときに「このままだと予選落ちるぞ」と警告するにとどめた。

 基本方針として放置することにしたのは。これまで高専に入学してから4年間、様々なコンテストで数々の受賞をしてきた彼らに対するリスペクトであり、もう一つは、積極的に私がコミットするICT委員会の下級生チームとの競争の場とする事を狙った。老害組と私との戦いの意味もふくめた。

老害組のとりくみ

 ICT委員会では下級生への教育をかねて、複数学年の混成チームを作る事が多いが、なっちゃんのブログ記事にあるように老害組でチームを結成した。

沖縄高専は基本的にICT委員会がプロコンに参加しており、学年はごっちゃで出すけど、わたしたちはどうしても最後に思い出づくりで5年生でやりたかった。わたしとマルサは受験生で、プロコンの1週間後にはふたりとも受験とかいうとんでもない日程ってのはわかってた。だけどそれでもどうしてもどうしてもみんなでやりたかった。

 また、早い段階から自由部門への応募を決め、2月から真剣なアイデアだしをしていた。それも、漫然としたブレストではなくかなりシステマティックに進めていた。

少なくとも今回突破した他の沖縄高専の3チームのどのチームよりも時間をかけた。2月から話し合いを始めた。たくさんアイディア出した。github見たらボツ案だけどボツ案にしなくてもいいようなレベルの案が正直たくさんある。

 老害組は現在のICT委員会メンバーのエースであり、全国の高専に誇れるギーク集団だといっても過言でないチームが、これほど真剣に時間をかけたにも関わらず、なぜ予選落ちしたのか・・・


優勝を意識しすぎた

 アイデア出しの早い段階で、彼らは過去の最優秀賞、優秀賞のテーマ分析をした。そのことがかえって自分たちの自由な発想を明らかに妨げていた。自分たちがどんなものを作りたいのかという純粋な欲求よりも、どうすれば審査委員に受け入れられるかばかりを考えるようになった。

 当然、アイデアの幅が小さくなり、小粒なものばかりになった。技術的には高度なものを使おうとするが、その使い方が単純で「その発想はなかった!」的なアイデアはなかった。

 まるさも言及しているとおりアイデアに対する意見はかなり頻繁に求められたが、多くの場合「楽しくない」の一言でdisった。私的には面白いと思えるのがなかった。彼らのアイデアに、なにか自己満足的なものを感じた。

チームとしての一体感に欠けていた

 老害チームは全員が5年生である。当然、進学・就職が重く彼らにのしかかっている。早く進路を決めたgyとにゃおに対し、まるさとなっちゃんは大学への3年次編入のための勉強とプロコンの企画書作成の両立に苦しんだと容易に想像される。そのために、早めに活動を開始したのだと思うが、あまりにもチームとしての一体感に欠けて見えた。

 何度も言うが老害組はICT委員会のエースの集まりである。また、同学年の友人同士である。このことがかえって、チームワークの発揮を妨害したように思える。

 4人ともそれぞれ高い技術力を持つため、それぞれが持つ技術の興味が異なる。自然と各メンバーの出すアイデアは自分の興味のある分野に集中する。しかし、それがかみ合わない。なまじ同学年であるため発言に遠慮が無いため、何度議論してもまとまらない。

 全員で決めたように思えても、すぐにそれがひっくり返ってしまう。そのため、決められない。

 まさしく「船頭多くして船山に登る」であった。

全員が納得した最善のアイデアではなく、時間切れで妥協した

 最終提出した企画書を書き始めたのは締め切り当日であった。前述のように小粒のアイデアを決められない議論で時間切れで決めたテーマを当日に書いたものを提出した。当然、自分たちが考えたアイデアに対する強い思いがないため、できあがった企画書に他人を引きつける迫力は無い。ただ、フォーマットに従ってきれいにまとめただけのものに過ぎない。アイデア自体もどこかにありそうなものを無理矢理技術的いいわけをして独自性を主張しただけのものである。


 結果は・・・、やはりと言うべきか予選を落ちた。


これからの老害

 さすがというべきか、なっちゃんもまるさもその日のうちに反省のブログ記事を上げている。結果を受け止めるだけではなく、すでに次を見ている。

 今回の結果は数あるコンテストの中で高専プロコンに失敗したに過ぎない。彼らに残された高専生活はあと9ヶ月もある!

 卒業式の日に「最高の高専生活だった」と心から思えるよう彼らに期待したい。彼らにはその実力と行動力があると心から信じている。

 顧問から希望したいことがひとつある。もう少し下級生の活動にコミットして欲しいと思う。老害組のDNAをしっかりとICT委員会に残すためにね。

ICT委員会顧問としての2013年の反省と2014年の目標・方針

2014年に入ってからもう4日も経ってしまいましたが、ICT委員会の顧問として2013年の反省と2014年の目標を書いてみたいと思います。


2013年の反省

2013年は2012年度のICT委員会の勢いを続けたくて、何かと高い目標を目指し肩に力を入れすぎました。1年終わってみて結局、2012年に残した結果を超えるどころか「優勝」に相当する結果が一つも残せませんでした。 私は昔から策に溺れる傾向があり、肩に力を入れて戦略的に取り組めば取り組むほど、なぜか「外してしまう癖」があります。2013年度はそんな私のよくないところが全面に出てしまった年でした。特にパソコン甲子園のモバイル部門の指導でミスをしました。これはこれで、リベンジしなければいけないのですが、大反省です。

2014年の目標・方針

委員長・副委員長の成長の一年とする

委員長のきっきは前委員長のなっちゃんの元で副委員長を1年間していたとはいえ、マネージャとしては圧倒的な経験不足です。なっちゃんも委員長としての仕事ができるようになったのは3年目だと書いているように、マネージャとしての仕事は一朝一夕にはできるようになりません。今年は委員長にも副委員長にもたくさんの場に出てもらい成長してもらいたいと考えています。 特に副委員長のあやもがは宝石の原石のような存在なので磨きがいがありそうです。

部員の技術力向上

2014年のICT委員会は部員の年齢構成から、2014年度は苦戦することが目に見えています。一昨年、去年は4年生のパワーによってICT委員会はこれまでに無い結果を残しましたが、2014年はそのメンバー「老害」になってしまい、大きな代替わりの年です。そのため、今年は昨年度比で大幅なパワーダウンが否めません。コンテストでの受賞することはもしかしたらないかもしれません。 そのため、新2年生を中心に技術力をつけ、2015年に沖縄高専が全国的な活躍ができるよう土台を作る一年としなければいけません。そのためには失敗することを恐れず、たくさんのことにチャレンジさせたいと考えています。 どちらにせよ、きっき委員長にがんばってもらいたいと思っています。

Happy World Mapのリベンジ

これについては、あんなことやそんなことをごにょごにょしてほげほげしたいと考えていますが、まあどうなることかまだよくわかりません。うまくいったら、きっき委員長から報告があるはずです。

老害4人組は放置してみる

4月から5年生になる老害4人組ですが、あまり私が介入しないよう、放置して見守ってみるつもりです。就活、進学と忙しい最終学年ですが、彼らは重篤なデスマ依存症患者ですのでなにもしないで1年を終えるはずがありません。ICT委員会での4年間の経験をもとに高専本科最後の1年でどのようなアウトプットをだしてくれるか楽しみです。


以上、ざっと書いてみましたが今年一年どんなことがあるのか、怖くもあり楽しみでもあります。1月6日から新年の授業開始と共に2014年のICT委員会の活動開始です。まずは高専プロコン一関大会とパソコン甲子園に向けてICT委員会は始動します。

全国のICT委員会のみなさん!今年も沖縄高専ICT委員会を応援してください。

ICT Advent Calendar 2013 まとめ

ICT Advent Calender 2013が無事終わりました(?)*1

ICT Advent Calender 2013は@kagamizが企画発案し、前委員長のなっちゃんが全国のICT委員会に呼びかけ実現したものです。

沖縄本部を始め全国の支部から提供された32*228の珠玉の記事をお楽しみください。


1日目(2013年12月1日)

@marin72_com(沖縄本部)明日は初めての引退式

2日目(2013年12月2日)

@kagamiz(沖縄本部)引退式に参加して

3日目(2013年12月3日)

@m_kyoujyu(沖縄本部) ICT委員会誕生秘話

4日目(2013年12月4日)

@ichigo_o_re(日本支部) ICT委員会といちごオレ

5日目(2013年12月5日)

@otama_jaccy(久留米支部) いちごオレ君の観察日記

6日目(2013年12月6日)

@ZeroCrossroad(門外顧問) ICT委員会をたらしてみて

7日目(2013年12月7日)

@li_saku(/\_/\) JOIで友達を作るための7つの方法

8日目(2013年12月8日)

@yagamian_sobaya(沖縄本部) 沖縄高専とICTで大体8ヶ月くらい過ごして

9日目(2013年12月9日)

@higumachan725(沖縄本部) にゃおさんがかわいそうだ

10日目(2013年12月10日)

@chigichan24(久留米支部) プロラボ2年生の扱い方

11日目(2013年12月11日)

@LEO_GALiLEO(沖縄本部) 沖縄高専ICT委員会によるAdvent Calendarだよ

12日目(2013年12月12日)

@tt_w54s(飯塚支部) ICTでの日々、そして今…

13日目(2013年12月13日)

@Fokker_50(沖縄本部) 某隠居,ICT委員会での4年間を振り返る

14日目(2013年12月14日)

@kusohako(無所属) adveなんとか

15日目(2013年12月15日)

@sotarol(人権団体支部) ICTと考察と運動会

16日目(2013年12月16日)

elfride(沖縄本部) 2013 joi 予選について

17日目(2013年12月17日)

@shimamiz(沖縄本部) たすけてーーー><

@balkX(沖縄本部) ごちゃごちゃしてるけど来年の抱負的な何か><

18日目(2013年12月18日)

@ringoh72(沖縄本部) オセロが弱い

19日目(2013年12月19日)

@Foolish_OkNCT(沖縄本部) ICTに入ったとある学生の物語

20日目(2013年12月20日)

@orisano(沖縄本部) 僕がコードゴルフを始めたキッカケ

21日目(2013年12月21日)

@Pelkira(久留米) ここまでの自分とプロラボ部

22日目(2013年12月22日)

@goya813(沖縄本部) ICTの煽りの力関係

23日目(2013年12月23日)

@nikollson(久留米支部) 集計!プロラボアンケート!

@natrium11321(東京支部) natrium-food /【8th】ゴーヤチャンプルー

@natrium11321(東京支部) natrium-food /【9th】ショートケーキ

24日目(2013年12月24日)

@ayamoga(沖縄本部) ぎりぎりセーフ

@maruuusa83(沖縄本部) 老害と海

25日目(2013年12月25日)

@dnc_pop30(沖縄本部) 今日は何の日!?-ICTAdventCalendar-

26日目(2013年12月26日)

@pinkroot(株式会社リクルート支部) ICTと僕

@m_kyoujyu(沖縄本部) ICT Advent Calendar 2013 まとめ

27日目(2013年12月27日)*3

@marin72_com(沖縄本部) 【ICTAdventCalender 27日目】ICTAdventCalenderのまとめと委員長引退。

*1:@pinkrootから今日、記事が提供されるという噂があります

*2:元委員長が強引に一日延ばした

*3:まとめを作った後の記事投稿です

ICT委員会誕生秘話

ICT Advent Calender2013の3日目(12月3日)の記事です。

 

はじめに

昨日、ICT委員会の委員長交代があった。3年間の長きにわたって権力をほしいままにしたなっちゃんが引退し、きっきが第5代委員長に就任した。委員長の引き継ぎ式については引退直前のなっちゃんのブログや引退式にほとんど参加できず後からビデオをみて胸を熱くしたkagamizのブログを読んでもらいたい。

 

沖縄高専は今年で創立10周年を迎えた。その中で新委員長を迎えたICT委員会がどのような経緯を経て誕生したのか、記録を残す意味を含めて振り返ってみたい。

 

2004年

この年、沖縄高専が設立され4月に1期生の入学式が挙行された。新入生達は先輩もいなく1年生だけで学校を作り上げていった。学生は次々と部活を立ち上げていったが、バスケ部やバレー部、吹奏楽部といった中学校の延長線上に部活を作っていった。ロボコンにあこがれて高専に入学した学生もいたのでロボコン部も作られた(なんとこの年に1年生だけのチームでロボコンに参戦している)が、プロコンを知る学生はいなかった。私自身も吹奏楽部の顧問だった。

学校としては高専プロコンの活動の重要性は認識しており、新居浜で行われたプロコンに校長とyasuc先生が視察に行っている。

 

2005年

10月9,10日に行われたプロコン米子大会には私が視察として派遣された。初めて見たプロコンに高専生のパワーを感じたのだが、沖縄高専はまだ最高学年が2年生なので参加はとても無理だと思いながら競技、自由、課題の各部門を見て回った。視察してみて分かったことは2年生だけのチームで参加している学校がある。他校の指導教員から自由・課題部門は開発のハードルが高いが、競技部門は最悪開発が終わらず、プログラムが動かなくても何とかなるとの話を聞いて、沖縄高専のプロコン参戦も無理ではないことが分かったのが最大の収穫であった。

実はこの米子での視察だが、2日目に体調を崩した。熱も出たので2日目の朝に急遽帰ることにした。沖縄に帰ってきてから分かったのだが、おたふく風邪に罹っていた。ということは、米子から沖縄までおたふく風邪のウィルスをまき散らしながら帰ってきたことになる。2005年10月中旬に鳥取県、岡山県、兵庫県、沖縄県でおたふく風邪に罹った人がいたら私がうつしたのかもしれません。

おたふく風邪のウィルスをまき散らしながら来年はプロコン初挑戦することを決めた。

 

2006年

前年の米子での視察を踏まえプロコンに初参加することは決めていたが学内に組織が全くない。そこで私が中心となって教員5人からなるプロコン実行委員会を組織した。そこで決めたことは高専プロコン茨城大会とパソコン甲子園にでることだった。予算は校長と交渉し備品としてノートPC2台、デスクトップPC6台を購入した。さらに産学連携協力会から10万配分してもらうこととなった。活動場所(2年間限定だが専有できる部屋)を確保した。また、企業から5万の寄付金をいただけることになった。

学生に参加を呼びかけた結果、高専プロコンは競技部門(3年女子4名と2年男子1名)、課題部門(2年男子2名、女子3名)の2チームが結成された。結果は競技部門2回戦敗退、課題部門は特別賞を受賞した。このとき競技部門のリーダーを務めたあかね先輩が後にICT委員会を設立し初代委員長となる。

パソコン甲子園はプログラミング部門の予選に2チーム挑戦し、高専プロコン競技部門に参加した3年女子が作ったチーム「トルコアイス」が全国大会に出場を果たした。結果は1問も解けないという残念な結果に終わった。

また、この年は学生が自主的に情報オリンピックに挑戦し、本選に2名出場し、内1人は春合宿に参加している。

学校設立3年目で初挑戦したコンテストとして、4年生以上の先輩がいない環境で、プロコンがどんなものか分からない状況で参加したにも関わらず、すばらしい結果を残したといえる。

 

2007年

前年に参加した高専プロコンとパソコン甲子園に加えて、ACM/ICPCプロコンへの参加を当初計画した。学生はまだ組織化されていないので、教員が主導して推進するためプロコン実行委員会を昨年に引き続いて組織した。

プロコンは競技部門と課題部門にエントリーしたが課題部門は予選落ちした。競技部門は6人でチームを作ったが6人中3人は前年にプロコンに参加した学生だった。結果は決勝戦5位だった。沖縄高専はプロコン競技部門でのこの結果を超える成績は未だ残せていない。

パソコン甲子園はデジタルコンテンツ部門に2年生2人が挑戦しグランプリを受賞する快挙を果たしたが、プログラミング部門は予選落ちしてしまった。

また、ACM/ICPCプロコンへは参加しなかった。

この年もよい結果を残すことができた。

 

2008年

 この年、ICT委員会が誕生した。教員主導ではなく学生の活動が組織化された最初の年である。

活動はかなり活発だった。参加した大会/コンテストは高専プロコン、パソコン甲子園情報オリンピック、EPOCH@まつやま、スパコンとICT委員会史上最多ではないかと思う。成績は高専プロコンは競技部門で1敗戦敗退、敗者復活敗退、パソコン甲子園はプログラミング部門予選通過、本選は受賞無し、デジタルコンテンツ部門はグランプリで連覇、EPOCH@まつやまは特別賞(四国総合通信局長賞)、スパコンは予選通過、本選では受賞無し、の結果であった。特筆すべきはパソコン甲子園のグランプリ連覇であるが、これはデジタルコンテンツ部門での受賞であり、この年、結成されたデジタルアート部の活動成果である。

その他の大会/コンテストへの参加はICT委員会の活動の成果かというと実はそうではない。ICT委員会が結成されたのはこの年の全てのコンテストが終了した後である。実は2006年、2007年に高専プロコンに出ていたあかね先輩は高専プロコンの競技部門への参加を希望していたが、校内予選で落ち、この年なんの大会にもでていなかったのである。5年生になったあかね先輩は後輩を集めてプログラミングを教え始めた。部活という形ではなく任意で集まった非公式の同好会といった活動だった。まだICT委員会という名前すらもない活動である。ICT委員会はあかね先輩が始めた活動からスタートしたのである。現在のICT委員会は全国的にも珍しい女子学生が支配するプログラミング系の部活であるが、ICT委員会を創設したのが女子学生であったことを考えると、現在の状況は当然であると言えるかもしれない。

 

2009年

 この年にICT委員会は学生会の組織に正式に位置づけられることになる。しかし名前はICT委員会ではなく、プログラム製作委員会だった。正式に位置づけられたのはプロコン等での活動に対して学校側が認めたと言うことと、2008年に高専プロコンに出場したチームに学生会長がいたことが関係していたのかもしれない。さらにこの年の学生会規定の改正に伴って、プログラム製作委員会はICT委員会と名前を変えることになる。

 

さいごに

2008年に誕生したICT委員会の歴代部長/委員長は以下の通りである。委員長の選出は一貫して民主的な話し合いではなく、前委員長の指名で決定している。これもICT委員会の伝統であろう。

 

2008年 部長:あかね先輩

2009年 委員長:しろめ先輩

2010年 委員長:たかとさんだー

2011年 委員長:なっちゃん

2012年 委員長:なっちゃん

2013年 委員長:なっちゃん 副委員長:きっき

2014年 委員長:きっき 副委員長:あやもが

 

以上がICT委員会誕生秘話である。学校設立からICT委員会が立ち上がるまで5年近くがかかった。当時のことを思い出すと、今のICT委員会は信じられないぐらい活発に活動している。

これからは新しく就任したきっき委員長のもとでICT委員会は頑張ってくれるものと信じている。それには、「全国の」ICT委員会の部員の力が必要である。きっき委員長をもり立てて楽しくやりがいがあり、お互いを刺激しあい、自らが成長できる活動を続けて欲しい。

 

私は卒業式の日に「弟子認定」をしている。これは卒業までの間、その学生生活を通して私から大きな影響を受けた学生を弟子であると勝手に認定するものである。これまで沖縄高専は5回卒業式があり、卒業生の数は800人近くになるが、弟子認定者はまだ2人である。実質的にICT委員会を設立したあかね先輩はその第1号である。

 

明日はICT委員会久留米支部の@ichigo_o_re氏にバトンタッチします。

 

パソコン甲子園モバイル部門の結果について思うこと

はじめに

パソコン甲子園が終わった。

 

結果はプログラミング部門が5位となり、悲願の受賞を果たした。沖縄高専パソコン甲子園プログラミング部門に挑戦を始めてから8年目の快挙であった。

一方、モバイル部門は昨年のグランプリを受けて連覇を狙った満を持しての出場だったが無冠であった。何の賞も取れなかった。

 

今回のモバイル部門の惨敗の責任は全て顧問である私にある。

 

テーマ発表から企画書作り、そのあと夏休みの全てを費やしての開発。本選2週間前からのポスター作成、配布パンフレット作成、プレゼンのスライド作成・発表練習を行ったICT委員会の3名と1ヶ月以上かけて、すばらしいプロモーションアニメを作ってくれたデジタルアート部のメンバーに大変申し訳ない気持ちでいっぱいである。

本選に向けて必死に頑張ってきた努力が無駄になった。いや、無駄になったという言い方はしたくない。この経験は必ずこのあと活かされるとものなので、決して無駄ではなかったが、努力が成果に結びつけることができなかった。頑張ってくれた学生たちに本当に申し訳ないと思っている。

グランプリ受賞に向けて必要以上のことを求め過ぎてしまった。完全に私の采配ミスであった。

 

モバイル部門で今回私がどんな判断ミスをしたのか、自分自身を分析するために今回の記事はモバイル部門について書くことにする。プログラミング部門の健闘について改めてブログで書く。

 

戦略のミス

 

パソコン甲子園HPには以下のように審査基準が公開されている。

 

本選の審査基準

各チームの作品、プレゼンテーション及びデモンストレーション・セッションの内容を、以下の4つの観点から審査します。そのうえで、審査員は“夢のある”アプリを企画・開発する総合的なプロデュース力があるかどうかに重点を置いて協議し、入賞チームを決定します。なお、来場者から最も優れていると思う作品を選んで投票してもらい、その結果は審査において考慮します。 

 

1.技術力:選手の開発スキル、実装された機能の完成度、動作の安定性等

2.デザイン:ビジュアル的な見栄え、表現技法、使い勝手等

3.イノベーション:ユーザーが体験できる楽しさ、ビジネス性、独創性、発展可能性等

4.プレゼン力:プレゼンテーション及びデモンストレーション・セッションの出来栄え・チームワーク等

 

  

私はこの審査基準全てにおいて完璧なクオリティを追求させた。技術力ではアプリの完成度を高め、アプリのアイコンはデザイン性の高いものを作らせた。イノベーションはアイデアの優劣を判断する基準だと考え、ビジネス性や発展可能性を含めたアイデアを検討させた。プレゼン力ではスライド作りから発表練習を含め、かなり高いレベルのプレゼンをさせた。

また、公式HPにはデジタルコンテンツ部門がなくなった理由について次のように理由づけられている。

 

※今年度からデジタルコンテンツ部門をモバイル部門に統合いたします。モバイル部門の本選では、デザイン力や芸術性が高い作品には“ベストデザイン賞”、オリジナリティがあり、ビジネス的にも発展可能性のあるような作品には、“ベストアイディア賞”を授与します。デジタルコンテンツ部門で見ることができた創造性や表現力の豊かな作品が、モバイル部門で応募されることに期待します。 

 

このことから、デジタルコンテンツ部門が単に廃止されるのではなく、モバイル部門に統合され、昨年までのデジタルコンテンツ部門の受け皿になっていると解釈した。そこで、沖縄高専でデジタルコンテンツ部門で活躍していたチームに声をかけ、今回のアプリのデザイン、プレゼンで使用するアニメーションの作成を依頼した。デジタルコンテンツ部門でこれまで頑張っていたメンバーは部門の廃止により目標を失い、活動自体も低迷していたため、活動目標を与えようという意図もあった。

 

審査委員が求めていること

 

今回のパソコン甲子園モバイル部門を通じて審査委員が何を求めているのかがわかった気がする。審査委員は「高校生の目線からのおもしろいアイデア」を求めているに過ぎないということである。アプリの完成度、デモでの訴求力、プレゼンのわかりやすさはそれほど比重が高くないと言っていい。最も重要視すると考えられるテーマとの整合性についても「おもしろいアイデア」であれば多少は目をつむってもらえるようだ。

 

これまで沖縄高専はデジタルコンテンツ部門に参加してきた。その中でグランプリ3回準グランプリ2回受賞してきた。そのコンテンツ部門の審査結果では「テーマとの整合性」がかなり重視されている印象を受けた。作品の出来がかなりよくても、テーマと整合しない作品は受賞を逃したり、グランプリにならず準グランプリになっていたりしていた。私は過去のコンテンツ部門をずっと見てきて、モバイル部門においてもテーマとの整合性が強く求められると信じていた。

 

また、完成度の高さも重要であると考えていた。高専には高専プロコンという全国の高専がプログラミング技術を競う大会がある。高専プロコンではテーマとの整合性だけではなく「システムとしての完成度」が強く要求される。どんなおもしろいアイデアであっても、システムの完成度が低く、実用性や有用性が示せなかったら評価されない。私は高専プロコンをパソコン甲子園に持ち込んでしまった。大きな勘違いであった。パソコン甲子園が求めている完成度とは、実際に実用レベルまで動作するものではなく、考えたアイデアを審査委員に示すことができるレベルのものでよかった。

 

プレゼンも高校生らしく不器用ではあるが一生懸命やってるし頑張ったねというレベルでよいようである。プレゼン資料の作成に何日もかけ、何度も何度も練習するレベルは求められていない。

 

デモブースの展示においても、展示内容は企画書をちょっと書き直して展示すればよいのである。今回の受賞チームをみるとグランプリを受賞した鳥羽商船高専高専プロコンで求められるレベルのポスターを用意していたが、他の学校の展示を見るとそれほど時間をかけているとは思えない。作成にかけた時間は数時間であろう。ポスターの内容を吟味し、表現方法にこだわり、使用するフォント探しに何時間もかける必要はなかったのである。

 

GooglePlayに公開してアプリの完成度を高める→必要なかった

サーバーを契約して実際にサービスを実現した→必要なかった

インターナショナルに対応するためアプリを多国語対応した→必要なかった

ポスター作成に膨大な時間を費やした→必要なかった

プレゼンのスライド作りに何日も徹夜する→必要なかった

プレゼンにコンセプトをわかりやすくするためのアニメーションの作成→必要なかった

 

これら全てを私はチームに求めてしまった。必要なのは審査委員が講評で言っていた「自分事のアイデア」のみであった。

 

来年に向けて

 

沖縄高専はこのままでは終われない。惜しくも連覇は逃したが来年復活する。今年の結果は残念であったが収穫もあった。アイデア出しに時間をかければよいのである。今回は完成度の高い開発をするために開発リソースの集中したが、アイデア段階とそれを実現する最低限の開発とデモ準備でよいのであれば、もっと手軽に応募できる。

 

1年生は無理としても2年生が中心となって、複数のチームを作り多数の応募を行い。アイデアの優劣は予選において審査委員に選んでもらった上で、戦略的に効果的な開発をすればいい。今年はしなかった高専プロコンとのチームの重複も可能かもしれない。

 

この記事を読むかもしれないモバイル部門に関わった全てのメンバーに伝えたい。今回は君たちに高すぎるものを求めて大変申し訳なかった。しかし、苦労したことは必ず報われるということを信じて欲しい。今年のモバイル部門の取り組みの中で苦労し悩みそれでも立ち向かったという経験を通して大きく成長したはずである。特にこの半年間のリーダの成長はめざましいものがあった。彼女の今後の人生にとってかけがえのないものを得たことは間違いない。これからもチャレンジを続けることを強く希望する。

 

以上、私が今感じていることを書いてきたが、パソコン甲子園の審査委員、実行委員、運営に携わったスタッフには毎年、我々にチャレンジと成長の場を与えて頂き大変感謝している。モバイル部門は正式種目となってまだ2回目であり、審査の基準や方法にも手探り状態であることは想像に難くない。しかし、参加者側から若干のわがままを言わせてもらえるなら、毎年コロコロ審査基準を変えないで欲しいというのが希望である。そうでなければ何を目指して取り組んでよいのかわからなくなり、参加するモチベーションが保てなくなってしまう。これは決して今年のことを言っているのではなく、来年以降についての私の個人的な希望である。

 

パソコン甲子園が今後益々、全国の高校生・高専生が目指し、日本のICT教育の発展に寄与できる大会であることを願っています。

 

最後にふたたび。沖縄高専は来年必ずリベンジします。沖縄高専でこの夏、おそらく他校の何倍も努力し頑張った学生のためにも。

 

顧問は見た!沖縄高専のプロコンの驚愕の真実!!

閲覧注意:ICT委員会のメンバーにとって過激な表現があります。気をつけてお読みください。

1.はじめに

沖縄高専旭川市で催された第24回高専プロコンに参加した。沖縄高専高専プロコンに初めて挑戦したのは学校設立後3年目だったので、今年で8回目のプロコン参加であり、私自身も8回目の引率だった。

なっちゃんまるさのブログに学生視点からプロコンに対して具体的にどのように取り組んだのを書いているので、私はICT委員会の顧問視点から、今回のプロコンに沖縄高専がなにを目指してどう活動してきたのかを書くことにする。

2.去年残した奇跡的な実績

今年のICT委員会の活動方針を決めるにあたって、昨年度残したICT委員会の実績が大きなプレッシャーになった。昨年度のICT委員会はいわば全戦全勝してしまった。参加したコンテストというコンテストで全て受賞したのである。今年、ICT委員会がなんの賞も取れないようだったら「沖縄高専は一発屋」ということになる。日々頑張っている学生を見ているだけにICT委員会に一発屋のレッテルを貼られるのだけは避けたかった。

昨年のICT委員会の活動実績は奇跡と言っていい。たとえば去年はプロコン自由部門のメンバーはそのままパソコン甲子園モバイル部門にも参加していた。チームのリーダをしたまるさはプロコンとパソコン甲子園だけではなく、IT forgsの活動も掛け持ちしていたのである。結果はプロコンで特別賞、パソコン甲子園でグランプリを受賞したのだが、顧問の立場からするとそれは幸運以外のなにものでもなかった。外部からみると沖縄高専スゲーと思われたのかもしれないが、その内実はいっぱいいっぱいであった。

3.今年度のICT委員会の取り組み方針

今年度の取り組み方針として大きく掲げたのはコンテストの掛け持ち禁止である。ひとりで参加するコンテストを一つだけに絞り、確実な受賞を狙った。

今年度のICT委員会の戦力を考えるとチームを4つ編成するのが精一杯であった。その3チームをプロコン競技部門と自由部門、パソコン甲子園モバイル部門、プログラミング部門に振り分けることとした。今のICT委員会にはプロコン課題部門にでる余力は無い。そこで、ICT委員会が手を出すことができないプロコン課題部門を私とS先生が指導している卒研生4名に卒研テーマとして取り組ませることとした。

これでプロコン3部門に応募が可能となった。

目標はあくまでも卒研生チームを含めたプロコン3部門受賞であった。

4.予選

全部門受賞を目指す以上、予選を通過しなければ意味が無い。3部門受賞を目標に挙げてはいるが各部門に1チームしかエントリーしていないので全チームが予選通過しないといけない。プロコン競技部門は事実上予選はないのと同じなので、プロコン自由部門・課題部門、パソコン甲子園モバイル部門の3つの開発アイデアを出さなければいけない。それも確実に予選通過ができるアイデアと企画書のクオリティが要求される。

まず大切なのがアイデア出し。今年はICT委員会全員でアイデア検討会を何度も開催した。また、アイデアを出す段階でまるさが見つけてきた智慧カード3ブレスターを数セット購入しアイデアを膨らませた。

アイデアについては何度もダメ出しし、企画書も例年にないクオリティを学生に求めた。予選落ちするわけにはいかないのである。

今年のプロコン自由部門・課題部門の応募数は多かった。過去最多だったようだ。パソコン甲子園モバイル部門も増えている。

私としてはできる限りの指導をしたのである程度の自信はあったものの予選の結果発表まで緊張の日々が続いた。学生には「この内容で予選落ちるわけがない」と何度も繰り返し言っていたが、これは自分に言い聞かせるために言っていたのかもしれない。

結果、応募した全部門の予選が通過できた。プロコン課題部門が2.7倍、自由部門が3.5倍、パソコン甲子園モバイル部門が2.7倍の倍率であった。予選通過時点で学生はよくやったと思う。が、目標はもっと高いところにあった。

そうそう、予選と言えばパソコン甲子園のプログラミング部門を忘れてはいけないが、これはkagamizへの絶対的な信頼があるので全くといって心配していなかった。kagamizは昨年度、プロコン競技部門と各種競技プログラミングを掛け持ちしてもらっていたが、今年は競技プログラミングに集中してもらった。予選については本人にはそれなりのプレッシャーはあったとは思うが、予選は問題なく通過できた。本当は2チーム予選通過を狙っていたのだが、2年生の実力が今一歩であったことに加え、パソコン甲子園事務局側の「できるだけ多くの学校に本選に出て欲しい」との意思が垣間見える予選結果であった。まあ、これはコンテストを続けるためには必要な大人の事情なので疑義も不満も一切ない。

これからはプロコンの各部門毎に顧問目線での分析を書くことにする。

5.プロコン競技部門

プロコン競技部門の目標は「委員長を表彰台へ」だった。目標を実現するために4年生3人、2年生1人、1年生2人のアサインした。今年のICT委員会としては最強の布陣を敷いた。結果は1回戦敗退、敗者復活勝ち上がり、準決勝敗退だった。惨敗といっていい。原因は「過去の失敗の教訓を活かせず、過去の失敗を繰り返した」の一言に尽きる。 プロコン競技部門は他高専とのプログラムを通した戦いである。その戦いに必要なプログラムを不完全なままで、やっと動作することを確認しただけで本番に臨んだのである。 競技部門はルールを理解して仕様を満たすシステムを作ればよいのではなく、最適なシステムが要求される。そのためには多くの視点からの検討と試行錯誤が不可欠となる。決勝戦の様子から今年の競技部門の最適システムは次のようなものであった。

  • 大のサイコロのみを用いる

  • サイコロ職人をよく訓練する

  • 間違いがあった場合、最小限のコストで修正できる

沖縄高専の戦略はこの全てにおいて間違えていた。

第1の誤り:大と中のサイコロを用いた

沖縄高専はサイコロ一つで1~6までの6つの目に加えて、2と3を90度回転させた状態の2つを加え8つの状態を表現することとした。すなわちサイコロ一つで3ビット表現できることになる。さらに大と中のサイコロを用いることによってサイコロ一つで4ビット表現ができる。従って、大だけのサイコロを用いる場合に比べ、大中のサイコロを使うと同じビット数の情報を表現するサイコロの数が25%少なくて済む。しかし、これには大きな副作用があった。画像認識が困難を極めたのである。

ひとつは大と中の区別の問題である。大と中のサイコロは刻まれている目の大きさが同じであるため、目の大きさだけでは大中の区別がつかない。そこで、画像をエッジ検出しサイコロの大きさを抽出する必要がある。しかし、運営側から事前に提供されたサンプル画像が照明がかなり明るくサイコロのエッジ検出が不可能なものであった。そのため、エッジ検出に頼らない方法での大中サイコロの区別を模索することになった。とはいえ、目の配置や影の位置などを手がかりにしたアドホックな方法をとらざるを得ない。当然100%の認識率にはならない。誤認識の修正は回答室にいるメンバーにゆだねることになる。

もうひとつは影の問題である。パケットは斜め上から照明が当てられるため、大に挟まれた中のサイコロは左右から大のサイコロの影になる。また、大中のサイコロを混ぜて並べたとき中のサイコロの下の部分に隙間ができ、これが影になる。画像処理ではこの影の処理に悩むことになった。2値化処理のアルゴリズムや閾値の調整、形状などから影の除去処理を行ったが、これも完全ではない。結果として、サイコロの目の誤認識につながり、これも回答室メンバーの目視による修正が必要となる。本番においてこの問題によって致命的な結果をまねいた。準決勝戦において競技前の照明の調整が不十分であったため、大サイコロに挟まれて影になった中サイコロがほとんど見えなかった。人間が見ても見分けることができないので画像処理どころではない。その結果、沖縄高専は準決勝で正解文字列長0となり惨敗した。

第2の誤り:サイコロ職人の訓練が足りなかった

沖縄高専はサイコロ職人はミスをしないことを前提にシステムを開発した。開発当初は誤り訂正符号の付加を考慮するなどミスをカバーする仕組みを検討していたが、並べるサイコロの数が増えるため誤り訂正はしないことにした。サイコロ職人は人間であり当然ミスをすることは考えられるが、訓練によってミスを無くすことにした。

当初計画では8月の上旬にシステムが完成し、約1ヶ月間サイコロ職人の訓練をするはずであった。また、この訓練の過程で最適なサイコロの並べ方を模索することを考えていた。

しかし、システムの各モジュールが結合できたのが2週間前。結合後、プログラム上の様々な問題が噴出し、本格的な訓練が可能になったのは1週間前。授業も始まっており、システムの修正をしながらの訓練であったので多くの時間を割くことができず、本番と同じようなリハーサル形式で一日に数回するのが精一杯であった。これでは絶対的に訓練が足りないことは明らかである。

結果として、本番でサイコロ職人がミスをした。ミスをしないことを前提としたシステムなのでこれは致命的であった。

また、サイコロ職人の訓練が少ないことはサイコロの並べ方の検討不足につながる。優勝チームは回答室を無人にし、3人がそれぞれ別のパケットを担当してサイコロを並べていた。沖縄高専は一人がPCに表示されたサイコロの図を見ながらもう一人に並べる目を上にして渡していた。すなわちサイコロを選ぶ人と並べる人に役割分担した。これは、並べるサイコロを大と中にしたのにも起因している。何度かの予行演習で2種類のサイコロを正しく並べるためにはこの方が早かったのである。しかし、大のサイコロだけ使ったら場合など、ほとんど検討しなかった。

第3の誤り:文字列を圧縮した

沖縄高専は与えられた文字列を圧縮することによって並べるサイコロの数を最小限にすることを考えた。これについては多くの高専が取り組んだと想像するが、結果として決勝戦上位3チームは圧縮を用いていなかった。今年の競技部門は圧縮しないシステムの方が正解であったといえるだろう。これは、競技で与えられた文字列が極めて圧縮しにくいものであったことが一つの要因と考えられる。アルファベットの大文字と小文字をランダムにちりばめられていたら圧縮の効果はほとんど望めない。

とはいえ、沖縄高専は文字列圧縮にかなりの力を注いだ。沖縄高専がとった圧縮のアルゴリズムは次のようなものである。

  • Run Length圧縮

最も基本的な圧縮方法ではあるが、同じ文字列が続いた場合には絶大な効果がある。例年の競技の傾向から事務局が100文字の「a」のような文字列を出してくることが予想されたため実装した。

  • 辞書圧縮

今回沖縄高専は基本的には1文字1バイトで表現することにした。事務局から提示された問題文に用いられる文字の種類は86種類。残るの170の文字コード空間を辞書として用いることとした。

たとえば「Asahikawa」を文字コード0xc0に割り当てれば、アルファベット9文字が0xc0の1バイトに圧縮できることになる。しかし、問題の文字列が事前には分からないため、全国高専名、北海道の名産など100以上の辞書を用意し、サイコロの先頭部分に辞書番号を付加することにした。

さらに、文字列を辞書マッチングする際、kagamizに動的計画法を用いるアルゴリズムを考案してもらい実装した。もし、辞書圧縮でバイト数が削減できない場合は、1文字を6ビットまたは7ビットで表現する方式に動的にスイッチできるようにした。

  • アンダーバー圧縮

事前に提示された文字列の例からアンダーバーの使用頻度が最も高いと思われたので、アンダーバーだけを特別扱いし、2ビットで表現するよう工夫した。

  • 差分圧縮

文字列が大文字または小文字のアルファベットの連続が予想されたため、文字コードをそのまま並べるのでは無く、前の文字コードのとの差分で表現することを考えた、こうすることによって4ビット程度で文字が表現できることになる。

  • 動的辞書法

前記のような圧縮をかけた後、最後に動的辞書法によって圧縮した。しかも、単に圧縮するだけでは無く、辞書中に回文があってもよいように独自の拡張もした。

われわれは様々な圧縮アルゴリズムを実装するだけではなく、K高専との文字列圧縮の非公式対戦を通して、かなり高度な圧縮アルゴリズムを実装した。

しかし、結果は前述したように圧縮しない高専が上位を独占したのである。そもそも、今回の競技ではサイコロ職人はミスをするものであり、そのミスを最小限のコストで修正できるシステムが勝てるシステムであった。文字列を圧縮することによってさいころの数を減らし、その結果、制限時間内に多くの文字を送るという戦略そのものが机上の理論だったわけである。文字列を圧縮した場合、サイコロ職人がミスをしたら、そのパケット全体もしくは間違えた文字を起点に再圧縮したものを送ることになる。したがって、圧縮したデータの修正には多くのコストがかかる。その反面、非圧縮の場合、単純にその文字だけを送ればよい。

私自身、プロコンが終わった今だからこそ、このようなことが言えるわけであるが、本当に競技部門で勝つためには何度も試行錯誤しながら正解にたどりつく必要がある。

今回の沖縄高専競技部門のチームは個人の能力は高かった、しかし、個人それぞれの中での最適を追求するあまり、局所解に完全に陥っていた。システム全体を俯瞰し局所的には最適解では無くても、システム全体で最適解を導き出すことができなかった。すなわちチームとして一つの目標に向けて推進する力を欠いていた。沖縄高専は個々の力は決してある方では無い、それゆえチームで総力を挙げて取り組まなければ他高専に勝てない。

沖縄高専としては8回目のプロコン挑戦で会ったが毎年同じことを繰り返している。6年前の津山大会で決勝まで進んだことはあるが、そのときは考えたシステムが偶然に正解に極めて近いものだったに過ぎない。それ以外は、残念な結果を残している。

プロコンが終わる度に反省はしているが翌年には活かしていない。この現状を打破しなければいけない。来年度の課題である。

6.プロコン自由部門

自由部門の結果は特別賞であった。今年は最優秀賞しか見ていなかったので結果として惨敗であった。しかも、企業賞もとれなかった。

今年の自由部門は技術力をアピールするのが狙いだった。しかし、完成したのは実用性や性能面で問題のある中途半端なものにとどまってしまったのが最大の敗因。

開発チームは5年のくま、4年のまるさを中心として、2年生が1人、1年生2人の5人体制をとった。1年生は将来に向けたOJTを目的にチームにいれた。

結果としてチームとしてのパフォーマンスは最悪であった。チームで一丸となっての開発や作業は最後までほとんど見られなかった。軸となるべきくまとまるさはお互いが何をしているのかよく分からない状態であったし、ICTの次世代を担うべき1年生にはほとんど仕事を振っていなかった。2年生に対しては、技術力を高めるためにくまが集中的に指導したが、結果として戦力にはなり得なかった。

スケジュール管理も全くできていなかった。プロジェクト開始時にはまるさがスケジュール管理をしていたが、中盤以降は機能しなくなった。結果として、システム全体が動き始めたのがおよそ3週間前だった。今回のテーマは技術力の高さがウリであるため技術的に解決しなければいけないハードルは高くまた数も多かった。本選3週間前から噴出する様々な課題を解決するにはあまりにも短い。くまの開発力を持ってしても解決できるものではない。また、まるさは夏休み中にインターンシップがあったこともあって、開発にほとんどコミットできていなかった。

今年の自由部門は一言で言えば、くまが個人で作ったシステムをまるさがプレゼンしたに過ぎない。ただ、くまもまるさもこれまで蓄積した技術力と経験があったため何とか特別賞がとれたというのが実態である。今年度はチーム編成も含めて反省の残る自由部門であった。

6.プロコン課題部門

前述したように今年のICT委員会には課題部門を取り組む力が無かった。そこで、私とS先生が卒研指導している5年生に卒業研究としてプロコン課題部門に取り組ませることにした。

これには2つの狙いがあった。ひとつはこれまでプロコンに出たことが無い学生に学外で力を試す場を与え、高専の最終学年にプロコンで頑張ったという自信をもって卒業して欲しいという思いと、もう一つは1年生からプログラミング好きで集まったICT委員会に対してプロコンの場でどの程度の結果が出せるかを見たかったからである。言い換えれば、ICT委員会よりもよい結果が出せるのならば、ICT委員会はその存在意義が問われることになる。

結果は特別賞を受賞した。ICT委員会の自由部門の特別賞と同じであったが、とてもよくやったと思う。

自由部門は5年生4人でチームを編成したが、きちんとチームとして開発をしていた。特に強いリーダーシップをもったリーダーが引っ張ったわけでは無いが、メンバひとりひとりが自分の仕事を自覚し、お互い密なコミュニケーションを欠かさなかった。自分の仕事が終わるとすぐに自分の次の仕事を見つけ出してもくもくとこなしていた。ICT委員会の自由部門とは大違いである。

開発したシステムは非常に完成度の高いものであった。細部までに作り込まれていた。ほんの小さなバグもどんどんつぶしていた。プレゼンや展示ポスターもデザイン含めて高い完成度で仕上げた。

結果が特別賞にとどまったのは、アイデアの限界だったと分析している。やはり「なぜランドセルなのか」に答え切れて無く、ニーズよりもシーズによりすぎていたと言える。もう少しアイデアに時間をかけるべきだったかもしれない。

結果はどうあれ、今回課題部門に挑戦した4名の5年生にとっては、とてもよい経験になったと思う。卒業してから高専の最終学年でのこの経験を活かして欲しいと、卒研指導担当教員として強く希望する。

7.パソコン甲子園にむけて

ICT委員会はプロコンが終わってもまだオフシーズンに入っていない。なっちゃんにはまだ委員長をしてもらっているパソコン甲子園が残っている。

今年はパソコン甲子園にはモバイル部門とプログラミング部門に参加する。

モバイル部門は去年に引き続きグランプリ連覇をめざして副委員長のきっきがモバイル部門のリーダをしている。連覇という重圧に耐えながらモバイル部門のメンバは本選まで残り4日を懸命に頑張っている。今年は本気で連覇を狙っているため、水鉄砲で遊んでいる子供にバズーカを持ち出すぐらい他校に対して圧倒的な差をつける取り組みをしている。1週間後に結果は出るが、これまでの努力は決して裏切ることはないと信じている。

プログラミング部門はkagamizに対して、グランプリとは言わないが受賞することを目標にさせている。kagamizは困難な目標を与えても、そこから決して逃げること無く挑み続けて目標を達成する力がある。必ずや受賞すると信じている。また、今年、kagamizの相方をkagamizみずから1年の部員から選抜した1年生にした。ICT委員会の競技プログラミング力を継承するためである。今年参加する1年生が来年度パソコン甲子園の本選に出場することを願っている。

8.おわりに

今年の沖縄高専ICT委員会の最大の課題は来年度以降の体制作りであった。現在のICT委員会の技術的な主力が4年生であるにもかかわらず、2年生3年生が育ちきっておらず、来年からICT委員会の弱体化が予想されたからである。そのため、今年は例年よりも1年生を多くプロコンに参加させた。その効果が来年からどのように結実するのかは現段階では不明である。パソコン甲子園が終わってから、新委員長とともに検討すべき課題である。

と、顧問目線で勝手なことを書いてきたが、さまざまな課題を抱えているものの今のICT委員会はすごいと素直に思う。委員長のなっちゃんを中心に全国の高専に誇れる活動をしている。多くの困難にぶち当たり、様々な失敗を繰り返し、何度も何度も反省しながら学生は一生懸命取り組んでいる。私は顧問という立場でそれを見守ることしかできない。高専を卒業して何年もたってから、高専で学んだことをよかったと感じ、ICT委員会で頑張ってよかったと感じるように、力を貸すことができれば、教員として幸せである。