ICT委員会誕生秘話

ICT Advent Calender2013の3日目(12月3日)の記事です。

 

はじめに

昨日、ICT委員会の委員長交代があった。3年間の長きにわたって権力をほしいままにしたなっちゃんが引退し、きっきが第5代委員長に就任した。委員長の引き継ぎ式については引退直前のなっちゃんのブログや引退式にほとんど参加できず後からビデオをみて胸を熱くしたkagamizのブログを読んでもらいたい。

 

沖縄高専は今年で創立10周年を迎えた。その中で新委員長を迎えたICT委員会がどのような経緯を経て誕生したのか、記録を残す意味を含めて振り返ってみたい。

 

2004年

この年、沖縄高専が設立され4月に1期生の入学式が挙行された。新入生達は先輩もいなく1年生だけで学校を作り上げていった。学生は次々と部活を立ち上げていったが、バスケ部やバレー部、吹奏楽部といった中学校の延長線上に部活を作っていった。ロボコンにあこがれて高専に入学した学生もいたのでロボコン部も作られた(なんとこの年に1年生だけのチームでロボコンに参戦している)が、プロコンを知る学生はいなかった。私自身も吹奏楽部の顧問だった。

学校としては高専プロコンの活動の重要性は認識しており、新居浜で行われたプロコンに校長とyasuc先生が視察に行っている。

 

2005年

10月9,10日に行われたプロコン米子大会には私が視察として派遣された。初めて見たプロコンに高専生のパワーを感じたのだが、沖縄高専はまだ最高学年が2年生なので参加はとても無理だと思いながら競技、自由、課題の各部門を見て回った。視察してみて分かったことは2年生だけのチームで参加している学校がある。他校の指導教員から自由・課題部門は開発のハードルが高いが、競技部門は最悪開発が終わらず、プログラムが動かなくても何とかなるとの話を聞いて、沖縄高専のプロコン参戦も無理ではないことが分かったのが最大の収穫であった。

実はこの米子での視察だが、2日目に体調を崩した。熱も出たので2日目の朝に急遽帰ることにした。沖縄に帰ってきてから分かったのだが、おたふく風邪に罹っていた。ということは、米子から沖縄までおたふく風邪のウィルスをまき散らしながら帰ってきたことになる。2005年10月中旬に鳥取県、岡山県、兵庫県、沖縄県でおたふく風邪に罹った人がいたら私がうつしたのかもしれません。

おたふく風邪のウィルスをまき散らしながら来年はプロコン初挑戦することを決めた。

 

2006年

前年の米子での視察を踏まえプロコンに初参加することは決めていたが学内に組織が全くない。そこで私が中心となって教員5人からなるプロコン実行委員会を組織した。そこで決めたことは高専プロコン茨城大会とパソコン甲子園にでることだった。予算は校長と交渉し備品としてノートPC2台、デスクトップPC6台を購入した。さらに産学連携協力会から10万配分してもらうこととなった。活動場所(2年間限定だが専有できる部屋)を確保した。また、企業から5万の寄付金をいただけることになった。

学生に参加を呼びかけた結果、高専プロコンは競技部門(3年女子4名と2年男子1名)、課題部門(2年男子2名、女子3名)の2チームが結成された。結果は競技部門2回戦敗退、課題部門は特別賞を受賞した。このとき競技部門のリーダーを務めたあかね先輩が後にICT委員会を設立し初代委員長となる。

パソコン甲子園はプログラミング部門の予選に2チーム挑戦し、高専プロコン競技部門に参加した3年女子が作ったチーム「トルコアイス」が全国大会に出場を果たした。結果は1問も解けないという残念な結果に終わった。

また、この年は学生が自主的に情報オリンピックに挑戦し、本選に2名出場し、内1人は春合宿に参加している。

学校設立3年目で初挑戦したコンテストとして、4年生以上の先輩がいない環境で、プロコンがどんなものか分からない状況で参加したにも関わらず、すばらしい結果を残したといえる。

 

2007年

前年に参加した高専プロコンとパソコン甲子園に加えて、ACM/ICPCプロコンへの参加を当初計画した。学生はまだ組織化されていないので、教員が主導して推進するためプロコン実行委員会を昨年に引き続いて組織した。

プロコンは競技部門と課題部門にエントリーしたが課題部門は予選落ちした。競技部門は6人でチームを作ったが6人中3人は前年にプロコンに参加した学生だった。結果は決勝戦5位だった。沖縄高専はプロコン競技部門でのこの結果を超える成績は未だ残せていない。

パソコン甲子園はデジタルコンテンツ部門に2年生2人が挑戦しグランプリを受賞する快挙を果たしたが、プログラミング部門は予選落ちしてしまった。

また、ACM/ICPCプロコンへは参加しなかった。

この年もよい結果を残すことができた。

 

2008年

 この年、ICT委員会が誕生した。教員主導ではなく学生の活動が組織化された最初の年である。

活動はかなり活発だった。参加した大会/コンテストは高専プロコン、パソコン甲子園情報オリンピック、EPOCH@まつやま、スパコンとICT委員会史上最多ではないかと思う。成績は高専プロコンは競技部門で1敗戦敗退、敗者復活敗退、パソコン甲子園はプログラミング部門予選通過、本選は受賞無し、デジタルコンテンツ部門はグランプリで連覇、EPOCH@まつやまは特別賞(四国総合通信局長賞)、スパコンは予選通過、本選では受賞無し、の結果であった。特筆すべきはパソコン甲子園のグランプリ連覇であるが、これはデジタルコンテンツ部門での受賞であり、この年、結成されたデジタルアート部の活動成果である。

その他の大会/コンテストへの参加はICT委員会の活動の成果かというと実はそうではない。ICT委員会が結成されたのはこの年の全てのコンテストが終了した後である。実は2006年、2007年に高専プロコンに出ていたあかね先輩は高専プロコンの競技部門への参加を希望していたが、校内予選で落ち、この年なんの大会にもでていなかったのである。5年生になったあかね先輩は後輩を集めてプログラミングを教え始めた。部活という形ではなく任意で集まった非公式の同好会といった活動だった。まだICT委員会という名前すらもない活動である。ICT委員会はあかね先輩が始めた活動からスタートしたのである。現在のICT委員会は全国的にも珍しい女子学生が支配するプログラミング系の部活であるが、ICT委員会を創設したのが女子学生であったことを考えると、現在の状況は当然であると言えるかもしれない。

 

2009年

 この年にICT委員会は学生会の組織に正式に位置づけられることになる。しかし名前はICT委員会ではなく、プログラム製作委員会だった。正式に位置づけられたのはプロコン等での活動に対して学校側が認めたと言うことと、2008年に高専プロコンに出場したチームに学生会長がいたことが関係していたのかもしれない。さらにこの年の学生会規定の改正に伴って、プログラム製作委員会はICT委員会と名前を変えることになる。

 

さいごに

2008年に誕生したICT委員会の歴代部長/委員長は以下の通りである。委員長の選出は一貫して民主的な話し合いではなく、前委員長の指名で決定している。これもICT委員会の伝統であろう。

 

2008年 部長:あかね先輩

2009年 委員長:しろめ先輩

2010年 委員長:たかとさんだー

2011年 委員長:なっちゃん

2012年 委員長:なっちゃん

2013年 委員長:なっちゃん 副委員長:きっき

2014年 委員長:きっき 副委員長:あやもが

 

以上がICT委員会誕生秘話である。学校設立からICT委員会が立ち上がるまで5年近くがかかった。当時のことを思い出すと、今のICT委員会は信じられないぐらい活発に活動している。

これからは新しく就任したきっき委員長のもとでICT委員会は頑張ってくれるものと信じている。それには、「全国の」ICT委員会の部員の力が必要である。きっき委員長をもり立てて楽しくやりがいがあり、お互いを刺激しあい、自らが成長できる活動を続けて欲しい。

 

私は卒業式の日に「弟子認定」をしている。これは卒業までの間、その学生生活を通して私から大きな影響を受けた学生を弟子であると勝手に認定するものである。これまで沖縄高専は5回卒業式があり、卒業生の数は800人近くになるが、弟子認定者はまだ2人である。実質的にICT委員会を設立したあかね先輩はその第1号である。

 

明日はICT委員会久留米支部の@ichigo_o_re氏にバトンタッチします。

 

パソコン甲子園モバイル部門の結果について思うこと

はじめに

パソコン甲子園が終わった。

 

結果はプログラミング部門が5位となり、悲願の受賞を果たした。沖縄高専パソコン甲子園プログラミング部門に挑戦を始めてから8年目の快挙であった。

一方、モバイル部門は昨年のグランプリを受けて連覇を狙った満を持しての出場だったが無冠であった。何の賞も取れなかった。

 

今回のモバイル部門の惨敗の責任は全て顧問である私にある。

 

テーマ発表から企画書作り、そのあと夏休みの全てを費やしての開発。本選2週間前からのポスター作成、配布パンフレット作成、プレゼンのスライド作成・発表練習を行ったICT委員会の3名と1ヶ月以上かけて、すばらしいプロモーションアニメを作ってくれたデジタルアート部のメンバーに大変申し訳ない気持ちでいっぱいである。

本選に向けて必死に頑張ってきた努力が無駄になった。いや、無駄になったという言い方はしたくない。この経験は必ずこのあと活かされるとものなので、決して無駄ではなかったが、努力が成果に結びつけることができなかった。頑張ってくれた学生たちに本当に申し訳ないと思っている。

グランプリ受賞に向けて必要以上のことを求め過ぎてしまった。完全に私の采配ミスであった。

 

モバイル部門で今回私がどんな判断ミスをしたのか、自分自身を分析するために今回の記事はモバイル部門について書くことにする。プログラミング部門の健闘について改めてブログで書く。

 

戦略のミス

 

パソコン甲子園HPには以下のように審査基準が公開されている。

 

本選の審査基準

各チームの作品、プレゼンテーション及びデモンストレーション・セッションの内容を、以下の4つの観点から審査します。そのうえで、審査員は“夢のある”アプリを企画・開発する総合的なプロデュース力があるかどうかに重点を置いて協議し、入賞チームを決定します。なお、来場者から最も優れていると思う作品を選んで投票してもらい、その結果は審査において考慮します。 

 

1.技術力:選手の開発スキル、実装された機能の完成度、動作の安定性等

2.デザイン:ビジュアル的な見栄え、表現技法、使い勝手等

3.イノベーション:ユーザーが体験できる楽しさ、ビジネス性、独創性、発展可能性等

4.プレゼン力:プレゼンテーション及びデモンストレーション・セッションの出来栄え・チームワーク等

 

  

私はこの審査基準全てにおいて完璧なクオリティを追求させた。技術力ではアプリの完成度を高め、アプリのアイコンはデザイン性の高いものを作らせた。イノベーションはアイデアの優劣を判断する基準だと考え、ビジネス性や発展可能性を含めたアイデアを検討させた。プレゼン力ではスライド作りから発表練習を含め、かなり高いレベルのプレゼンをさせた。

また、公式HPにはデジタルコンテンツ部門がなくなった理由について次のように理由づけられている。

 

※今年度からデジタルコンテンツ部門をモバイル部門に統合いたします。モバイル部門の本選では、デザイン力や芸術性が高い作品には“ベストデザイン賞”、オリジナリティがあり、ビジネス的にも発展可能性のあるような作品には、“ベストアイディア賞”を授与します。デジタルコンテンツ部門で見ることができた創造性や表現力の豊かな作品が、モバイル部門で応募されることに期待します。 

 

このことから、デジタルコンテンツ部門が単に廃止されるのではなく、モバイル部門に統合され、昨年までのデジタルコンテンツ部門の受け皿になっていると解釈した。そこで、沖縄高専でデジタルコンテンツ部門で活躍していたチームに声をかけ、今回のアプリのデザイン、プレゼンで使用するアニメーションの作成を依頼した。デジタルコンテンツ部門でこれまで頑張っていたメンバーは部門の廃止により目標を失い、活動自体も低迷していたため、活動目標を与えようという意図もあった。

 

審査委員が求めていること

 

今回のパソコン甲子園モバイル部門を通じて審査委員が何を求めているのかがわかった気がする。審査委員は「高校生の目線からのおもしろいアイデア」を求めているに過ぎないということである。アプリの完成度、デモでの訴求力、プレゼンのわかりやすさはそれほど比重が高くないと言っていい。最も重要視すると考えられるテーマとの整合性についても「おもしろいアイデア」であれば多少は目をつむってもらえるようだ。

 

これまで沖縄高専はデジタルコンテンツ部門に参加してきた。その中でグランプリ3回準グランプリ2回受賞してきた。そのコンテンツ部門の審査結果では「テーマとの整合性」がかなり重視されている印象を受けた。作品の出来がかなりよくても、テーマと整合しない作品は受賞を逃したり、グランプリにならず準グランプリになっていたりしていた。私は過去のコンテンツ部門をずっと見てきて、モバイル部門においてもテーマとの整合性が強く求められると信じていた。

 

また、完成度の高さも重要であると考えていた。高専には高専プロコンという全国の高専がプログラミング技術を競う大会がある。高専プロコンではテーマとの整合性だけではなく「システムとしての完成度」が強く要求される。どんなおもしろいアイデアであっても、システムの完成度が低く、実用性や有用性が示せなかったら評価されない。私は高専プロコンをパソコン甲子園に持ち込んでしまった。大きな勘違いであった。パソコン甲子園が求めている完成度とは、実際に実用レベルまで動作するものではなく、考えたアイデアを審査委員に示すことができるレベルのものでよかった。

 

プレゼンも高校生らしく不器用ではあるが一生懸命やってるし頑張ったねというレベルでよいようである。プレゼン資料の作成に何日もかけ、何度も何度も練習するレベルは求められていない。

 

デモブースの展示においても、展示内容は企画書をちょっと書き直して展示すればよいのである。今回の受賞チームをみるとグランプリを受賞した鳥羽商船高専高専プロコンで求められるレベルのポスターを用意していたが、他の学校の展示を見るとそれほど時間をかけているとは思えない。作成にかけた時間は数時間であろう。ポスターの内容を吟味し、表現方法にこだわり、使用するフォント探しに何時間もかける必要はなかったのである。

 

GooglePlayに公開してアプリの完成度を高める→必要なかった

サーバーを契約して実際にサービスを実現した→必要なかった

インターナショナルに対応するためアプリを多国語対応した→必要なかった

ポスター作成に膨大な時間を費やした→必要なかった

プレゼンのスライド作りに何日も徹夜する→必要なかった

プレゼンにコンセプトをわかりやすくするためのアニメーションの作成→必要なかった

 

これら全てを私はチームに求めてしまった。必要なのは審査委員が講評で言っていた「自分事のアイデア」のみであった。

 

来年に向けて

 

沖縄高専はこのままでは終われない。惜しくも連覇は逃したが来年復活する。今年の結果は残念であったが収穫もあった。アイデア出しに時間をかければよいのである。今回は完成度の高い開発をするために開発リソースの集中したが、アイデア段階とそれを実現する最低限の開発とデモ準備でよいのであれば、もっと手軽に応募できる。

 

1年生は無理としても2年生が中心となって、複数のチームを作り多数の応募を行い。アイデアの優劣は予選において審査委員に選んでもらった上で、戦略的に効果的な開発をすればいい。今年はしなかった高専プロコンとのチームの重複も可能かもしれない。

 

この記事を読むかもしれないモバイル部門に関わった全てのメンバーに伝えたい。今回は君たちに高すぎるものを求めて大変申し訳なかった。しかし、苦労したことは必ず報われるということを信じて欲しい。今年のモバイル部門の取り組みの中で苦労し悩みそれでも立ち向かったという経験を通して大きく成長したはずである。特にこの半年間のリーダの成長はめざましいものがあった。彼女の今後の人生にとってかけがえのないものを得たことは間違いない。これからもチャレンジを続けることを強く希望する。

 

以上、私が今感じていることを書いてきたが、パソコン甲子園の審査委員、実行委員、運営に携わったスタッフには毎年、我々にチャレンジと成長の場を与えて頂き大変感謝している。モバイル部門は正式種目となってまだ2回目であり、審査の基準や方法にも手探り状態であることは想像に難くない。しかし、参加者側から若干のわがままを言わせてもらえるなら、毎年コロコロ審査基準を変えないで欲しいというのが希望である。そうでなければ何を目指して取り組んでよいのかわからなくなり、参加するモチベーションが保てなくなってしまう。これは決して今年のことを言っているのではなく、来年以降についての私の個人的な希望である。

 

パソコン甲子園が今後益々、全国の高校生・高専生が目指し、日本のICT教育の発展に寄与できる大会であることを願っています。

 

最後にふたたび。沖縄高専は来年必ずリベンジします。沖縄高専でこの夏、おそらく他校の何倍も努力し頑張った学生のためにも。

 

顧問は見た!沖縄高専のプロコンの驚愕の真実!!

閲覧注意:ICT委員会のメンバーにとって過激な表現があります。気をつけてお読みください。

1.はじめに

沖縄高専旭川市で催された第24回高専プロコンに参加した。沖縄高専高専プロコンに初めて挑戦したのは学校設立後3年目だったので、今年で8回目のプロコン参加であり、私自身も8回目の引率だった。

なっちゃんまるさのブログに学生視点からプロコンに対して具体的にどのように取り組んだのを書いているので、私はICT委員会の顧問視点から、今回のプロコンに沖縄高専がなにを目指してどう活動してきたのかを書くことにする。

2.去年残した奇跡的な実績

今年のICT委員会の活動方針を決めるにあたって、昨年度残したICT委員会の実績が大きなプレッシャーになった。昨年度のICT委員会はいわば全戦全勝してしまった。参加したコンテストというコンテストで全て受賞したのである。今年、ICT委員会がなんの賞も取れないようだったら「沖縄高専は一発屋」ということになる。日々頑張っている学生を見ているだけにICT委員会に一発屋のレッテルを貼られるのだけは避けたかった。

昨年のICT委員会の活動実績は奇跡と言っていい。たとえば去年はプロコン自由部門のメンバーはそのままパソコン甲子園モバイル部門にも参加していた。チームのリーダをしたまるさはプロコンとパソコン甲子園だけではなく、IT forgsの活動も掛け持ちしていたのである。結果はプロコンで特別賞、パソコン甲子園でグランプリを受賞したのだが、顧問の立場からするとそれは幸運以外のなにものでもなかった。外部からみると沖縄高専スゲーと思われたのかもしれないが、その内実はいっぱいいっぱいであった。

3.今年度のICT委員会の取り組み方針

今年度の取り組み方針として大きく掲げたのはコンテストの掛け持ち禁止である。ひとりで参加するコンテストを一つだけに絞り、確実な受賞を狙った。

今年度のICT委員会の戦力を考えるとチームを4つ編成するのが精一杯であった。その3チームをプロコン競技部門と自由部門、パソコン甲子園モバイル部門、プログラミング部門に振り分けることとした。今のICT委員会にはプロコン課題部門にでる余力は無い。そこで、ICT委員会が手を出すことができないプロコン課題部門を私とS先生が指導している卒研生4名に卒研テーマとして取り組ませることとした。

これでプロコン3部門に応募が可能となった。

目標はあくまでも卒研生チームを含めたプロコン3部門受賞であった。

4.予選

全部門受賞を目指す以上、予選を通過しなければ意味が無い。3部門受賞を目標に挙げてはいるが各部門に1チームしかエントリーしていないので全チームが予選通過しないといけない。プロコン競技部門は事実上予選はないのと同じなので、プロコン自由部門・課題部門、パソコン甲子園モバイル部門の3つの開発アイデアを出さなければいけない。それも確実に予選通過ができるアイデアと企画書のクオリティが要求される。

まず大切なのがアイデア出し。今年はICT委員会全員でアイデア検討会を何度も開催した。また、アイデアを出す段階でまるさが見つけてきた智慧カード3ブレスターを数セット購入しアイデアを膨らませた。

アイデアについては何度もダメ出しし、企画書も例年にないクオリティを学生に求めた。予選落ちするわけにはいかないのである。

今年のプロコン自由部門・課題部門の応募数は多かった。過去最多だったようだ。パソコン甲子園モバイル部門も増えている。

私としてはできる限りの指導をしたのである程度の自信はあったものの予選の結果発表まで緊張の日々が続いた。学生には「この内容で予選落ちるわけがない」と何度も繰り返し言っていたが、これは自分に言い聞かせるために言っていたのかもしれない。

結果、応募した全部門の予選が通過できた。プロコン課題部門が2.7倍、自由部門が3.5倍、パソコン甲子園モバイル部門が2.7倍の倍率であった。予選通過時点で学生はよくやったと思う。が、目標はもっと高いところにあった。

そうそう、予選と言えばパソコン甲子園のプログラミング部門を忘れてはいけないが、これはkagamizへの絶対的な信頼があるので全くといって心配していなかった。kagamizは昨年度、プロコン競技部門と各種競技プログラミングを掛け持ちしてもらっていたが、今年は競技プログラミングに集中してもらった。予選については本人にはそれなりのプレッシャーはあったとは思うが、予選は問題なく通過できた。本当は2チーム予選通過を狙っていたのだが、2年生の実力が今一歩であったことに加え、パソコン甲子園事務局側の「できるだけ多くの学校に本選に出て欲しい」との意思が垣間見える予選結果であった。まあ、これはコンテストを続けるためには必要な大人の事情なので疑義も不満も一切ない。

これからはプロコンの各部門毎に顧問目線での分析を書くことにする。

5.プロコン競技部門

プロコン競技部門の目標は「委員長を表彰台へ」だった。目標を実現するために4年生3人、2年生1人、1年生2人のアサインした。今年のICT委員会としては最強の布陣を敷いた。結果は1回戦敗退、敗者復活勝ち上がり、準決勝敗退だった。惨敗といっていい。原因は「過去の失敗の教訓を活かせず、過去の失敗を繰り返した」の一言に尽きる。 プロコン競技部門は他高専とのプログラムを通した戦いである。その戦いに必要なプログラムを不完全なままで、やっと動作することを確認しただけで本番に臨んだのである。 競技部門はルールを理解して仕様を満たすシステムを作ればよいのではなく、最適なシステムが要求される。そのためには多くの視点からの検討と試行錯誤が不可欠となる。決勝戦の様子から今年の競技部門の最適システムは次のようなものであった。

  • 大のサイコロのみを用いる

  • サイコロ職人をよく訓練する

  • 間違いがあった場合、最小限のコストで修正できる

沖縄高専の戦略はこの全てにおいて間違えていた。

第1の誤り:大と中のサイコロを用いた

沖縄高専はサイコロ一つで1~6までの6つの目に加えて、2と3を90度回転させた状態の2つを加え8つの状態を表現することとした。すなわちサイコロ一つで3ビット表現できることになる。さらに大と中のサイコロを用いることによってサイコロ一つで4ビット表現ができる。従って、大だけのサイコロを用いる場合に比べ、大中のサイコロを使うと同じビット数の情報を表現するサイコロの数が25%少なくて済む。しかし、これには大きな副作用があった。画像認識が困難を極めたのである。

ひとつは大と中の区別の問題である。大と中のサイコロは刻まれている目の大きさが同じであるため、目の大きさだけでは大中の区別がつかない。そこで、画像をエッジ検出しサイコロの大きさを抽出する必要がある。しかし、運営側から事前に提供されたサンプル画像が照明がかなり明るくサイコロのエッジ検出が不可能なものであった。そのため、エッジ検出に頼らない方法での大中サイコロの区別を模索することになった。とはいえ、目の配置や影の位置などを手がかりにしたアドホックな方法をとらざるを得ない。当然100%の認識率にはならない。誤認識の修正は回答室にいるメンバーにゆだねることになる。

もうひとつは影の問題である。パケットは斜め上から照明が当てられるため、大に挟まれた中のサイコロは左右から大のサイコロの影になる。また、大中のサイコロを混ぜて並べたとき中のサイコロの下の部分に隙間ができ、これが影になる。画像処理ではこの影の処理に悩むことになった。2値化処理のアルゴリズムや閾値の調整、形状などから影の除去処理を行ったが、これも完全ではない。結果として、サイコロの目の誤認識につながり、これも回答室メンバーの目視による修正が必要となる。本番においてこの問題によって致命的な結果をまねいた。準決勝戦において競技前の照明の調整が不十分であったため、大サイコロに挟まれて影になった中サイコロがほとんど見えなかった。人間が見ても見分けることができないので画像処理どころではない。その結果、沖縄高専は準決勝で正解文字列長0となり惨敗した。

第2の誤り:サイコロ職人の訓練が足りなかった

沖縄高専はサイコロ職人はミスをしないことを前提にシステムを開発した。開発当初は誤り訂正符号の付加を考慮するなどミスをカバーする仕組みを検討していたが、並べるサイコロの数が増えるため誤り訂正はしないことにした。サイコロ職人は人間であり当然ミスをすることは考えられるが、訓練によってミスを無くすことにした。

当初計画では8月の上旬にシステムが完成し、約1ヶ月間サイコロ職人の訓練をするはずであった。また、この訓練の過程で最適なサイコロの並べ方を模索することを考えていた。

しかし、システムの各モジュールが結合できたのが2週間前。結合後、プログラム上の様々な問題が噴出し、本格的な訓練が可能になったのは1週間前。授業も始まっており、システムの修正をしながらの訓練であったので多くの時間を割くことができず、本番と同じようなリハーサル形式で一日に数回するのが精一杯であった。これでは絶対的に訓練が足りないことは明らかである。

結果として、本番でサイコロ職人がミスをした。ミスをしないことを前提としたシステムなのでこれは致命的であった。

また、サイコロ職人の訓練が少ないことはサイコロの並べ方の検討不足につながる。優勝チームは回答室を無人にし、3人がそれぞれ別のパケットを担当してサイコロを並べていた。沖縄高専は一人がPCに表示されたサイコロの図を見ながらもう一人に並べる目を上にして渡していた。すなわちサイコロを選ぶ人と並べる人に役割分担した。これは、並べるサイコロを大と中にしたのにも起因している。何度かの予行演習で2種類のサイコロを正しく並べるためにはこの方が早かったのである。しかし、大のサイコロだけ使ったら場合など、ほとんど検討しなかった。

第3の誤り:文字列を圧縮した

沖縄高専は与えられた文字列を圧縮することによって並べるサイコロの数を最小限にすることを考えた。これについては多くの高専が取り組んだと想像するが、結果として決勝戦上位3チームは圧縮を用いていなかった。今年の競技部門は圧縮しないシステムの方が正解であったといえるだろう。これは、競技で与えられた文字列が極めて圧縮しにくいものであったことが一つの要因と考えられる。アルファベットの大文字と小文字をランダムにちりばめられていたら圧縮の効果はほとんど望めない。

とはいえ、沖縄高専は文字列圧縮にかなりの力を注いだ。沖縄高専がとった圧縮のアルゴリズムは次のようなものである。

  • Run Length圧縮

最も基本的な圧縮方法ではあるが、同じ文字列が続いた場合には絶大な効果がある。例年の競技の傾向から事務局が100文字の「a」のような文字列を出してくることが予想されたため実装した。

  • 辞書圧縮

今回沖縄高専は基本的には1文字1バイトで表現することにした。事務局から提示された問題文に用いられる文字の種類は86種類。残るの170の文字コード空間を辞書として用いることとした。

たとえば「Asahikawa」を文字コード0xc0に割り当てれば、アルファベット9文字が0xc0の1バイトに圧縮できることになる。しかし、問題の文字列が事前には分からないため、全国高専名、北海道の名産など100以上の辞書を用意し、サイコロの先頭部分に辞書番号を付加することにした。

さらに、文字列を辞書マッチングする際、kagamizに動的計画法を用いるアルゴリズムを考案してもらい実装した。もし、辞書圧縮でバイト数が削減できない場合は、1文字を6ビットまたは7ビットで表現する方式に動的にスイッチできるようにした。

  • アンダーバー圧縮

事前に提示された文字列の例からアンダーバーの使用頻度が最も高いと思われたので、アンダーバーだけを特別扱いし、2ビットで表現するよう工夫した。

  • 差分圧縮

文字列が大文字または小文字のアルファベットの連続が予想されたため、文字コードをそのまま並べるのでは無く、前の文字コードのとの差分で表現することを考えた、こうすることによって4ビット程度で文字が表現できることになる。

  • 動的辞書法

前記のような圧縮をかけた後、最後に動的辞書法によって圧縮した。しかも、単に圧縮するだけでは無く、辞書中に回文があってもよいように独自の拡張もした。

われわれは様々な圧縮アルゴリズムを実装するだけではなく、K高専との文字列圧縮の非公式対戦を通して、かなり高度な圧縮アルゴリズムを実装した。

しかし、結果は前述したように圧縮しない高専が上位を独占したのである。そもそも、今回の競技ではサイコロ職人はミスをするものであり、そのミスを最小限のコストで修正できるシステムが勝てるシステムであった。文字列を圧縮することによってさいころの数を減らし、その結果、制限時間内に多くの文字を送るという戦略そのものが机上の理論だったわけである。文字列を圧縮した場合、サイコロ職人がミスをしたら、そのパケット全体もしくは間違えた文字を起点に再圧縮したものを送ることになる。したがって、圧縮したデータの修正には多くのコストがかかる。その反面、非圧縮の場合、単純にその文字だけを送ればよい。

私自身、プロコンが終わった今だからこそ、このようなことが言えるわけであるが、本当に競技部門で勝つためには何度も試行錯誤しながら正解にたどりつく必要がある。

今回の沖縄高専競技部門のチームは個人の能力は高かった、しかし、個人それぞれの中での最適を追求するあまり、局所解に完全に陥っていた。システム全体を俯瞰し局所的には最適解では無くても、システム全体で最適解を導き出すことができなかった。すなわちチームとして一つの目標に向けて推進する力を欠いていた。沖縄高専は個々の力は決してある方では無い、それゆえチームで総力を挙げて取り組まなければ他高専に勝てない。

沖縄高専としては8回目のプロコン挑戦で会ったが毎年同じことを繰り返している。6年前の津山大会で決勝まで進んだことはあるが、そのときは考えたシステムが偶然に正解に極めて近いものだったに過ぎない。それ以外は、残念な結果を残している。

プロコンが終わる度に反省はしているが翌年には活かしていない。この現状を打破しなければいけない。来年度の課題である。

6.プロコン自由部門

自由部門の結果は特別賞であった。今年は最優秀賞しか見ていなかったので結果として惨敗であった。しかも、企業賞もとれなかった。

今年の自由部門は技術力をアピールするのが狙いだった。しかし、完成したのは実用性や性能面で問題のある中途半端なものにとどまってしまったのが最大の敗因。

開発チームは5年のくま、4年のまるさを中心として、2年生が1人、1年生2人の5人体制をとった。1年生は将来に向けたOJTを目的にチームにいれた。

結果としてチームとしてのパフォーマンスは最悪であった。チームで一丸となっての開発や作業は最後までほとんど見られなかった。軸となるべきくまとまるさはお互いが何をしているのかよく分からない状態であったし、ICTの次世代を担うべき1年生にはほとんど仕事を振っていなかった。2年生に対しては、技術力を高めるためにくまが集中的に指導したが、結果として戦力にはなり得なかった。

スケジュール管理も全くできていなかった。プロジェクト開始時にはまるさがスケジュール管理をしていたが、中盤以降は機能しなくなった。結果として、システム全体が動き始めたのがおよそ3週間前だった。今回のテーマは技術力の高さがウリであるため技術的に解決しなければいけないハードルは高くまた数も多かった。本選3週間前から噴出する様々な課題を解決するにはあまりにも短い。くまの開発力を持ってしても解決できるものではない。また、まるさは夏休み中にインターンシップがあったこともあって、開発にほとんどコミットできていなかった。

今年の自由部門は一言で言えば、くまが個人で作ったシステムをまるさがプレゼンしたに過ぎない。ただ、くまもまるさもこれまで蓄積した技術力と経験があったため何とか特別賞がとれたというのが実態である。今年度はチーム編成も含めて反省の残る自由部門であった。

6.プロコン課題部門

前述したように今年のICT委員会には課題部門を取り組む力が無かった。そこで、私とS先生が卒研指導している5年生に卒業研究としてプロコン課題部門に取り組ませることにした。

これには2つの狙いがあった。ひとつはこれまでプロコンに出たことが無い学生に学外で力を試す場を与え、高専の最終学年にプロコンで頑張ったという自信をもって卒業して欲しいという思いと、もう一つは1年生からプログラミング好きで集まったICT委員会に対してプロコンの場でどの程度の結果が出せるかを見たかったからである。言い換えれば、ICT委員会よりもよい結果が出せるのならば、ICT委員会はその存在意義が問われることになる。

結果は特別賞を受賞した。ICT委員会の自由部門の特別賞と同じであったが、とてもよくやったと思う。

自由部門は5年生4人でチームを編成したが、きちんとチームとして開発をしていた。特に強いリーダーシップをもったリーダーが引っ張ったわけでは無いが、メンバひとりひとりが自分の仕事を自覚し、お互い密なコミュニケーションを欠かさなかった。自分の仕事が終わるとすぐに自分の次の仕事を見つけ出してもくもくとこなしていた。ICT委員会の自由部門とは大違いである。

開発したシステムは非常に完成度の高いものであった。細部までに作り込まれていた。ほんの小さなバグもどんどんつぶしていた。プレゼンや展示ポスターもデザイン含めて高い完成度で仕上げた。

結果が特別賞にとどまったのは、アイデアの限界だったと分析している。やはり「なぜランドセルなのか」に答え切れて無く、ニーズよりもシーズによりすぎていたと言える。もう少しアイデアに時間をかけるべきだったかもしれない。

結果はどうあれ、今回課題部門に挑戦した4名の5年生にとっては、とてもよい経験になったと思う。卒業してから高専の最終学年でのこの経験を活かして欲しいと、卒研指導担当教員として強く希望する。

7.パソコン甲子園にむけて

ICT委員会はプロコンが終わってもまだオフシーズンに入っていない。なっちゃんにはまだ委員長をしてもらっているパソコン甲子園が残っている。

今年はパソコン甲子園にはモバイル部門とプログラミング部門に参加する。

モバイル部門は去年に引き続きグランプリ連覇をめざして副委員長のきっきがモバイル部門のリーダをしている。連覇という重圧に耐えながらモバイル部門のメンバは本選まで残り4日を懸命に頑張っている。今年は本気で連覇を狙っているため、水鉄砲で遊んでいる子供にバズーカを持ち出すぐらい他校に対して圧倒的な差をつける取り組みをしている。1週間後に結果は出るが、これまでの努力は決して裏切ることはないと信じている。

プログラミング部門はkagamizに対して、グランプリとは言わないが受賞することを目標にさせている。kagamizは困難な目標を与えても、そこから決して逃げること無く挑み続けて目標を達成する力がある。必ずや受賞すると信じている。また、今年、kagamizの相方をkagamizみずから1年の部員から選抜した1年生にした。ICT委員会の競技プログラミング力を継承するためである。今年参加する1年生が来年度パソコン甲子園の本選に出場することを願っている。

8.おわりに

今年の沖縄高専ICT委員会の最大の課題は来年度以降の体制作りであった。現在のICT委員会の技術的な主力が4年生であるにもかかわらず、2年生3年生が育ちきっておらず、来年からICT委員会の弱体化が予想されたからである。そのため、今年は例年よりも1年生を多くプロコンに参加させた。その効果が来年からどのように結実するのかは現段階では不明である。パソコン甲子園が終わってから、新委員長とともに検討すべき課題である。

と、顧問目線で勝手なことを書いてきたが、さまざまな課題を抱えているものの今のICT委員会はすごいと素直に思う。委員長のなっちゃんを中心に全国の高専に誇れる活動をしている。多くの困難にぶち当たり、様々な失敗を繰り返し、何度も何度も反省しながら学生は一生懸命取り組んでいる。私は顧問という立場でそれを見守ることしかできない。高専を卒業して何年もたってから、高専で学んだことをよかったと感じ、ICT委員会で頑張ってよかったと感じるように、力を貸すことができれば、教員として幸せである。

2012年をふりかえって

2012年も今日でおわりです。 なっちゃんを見習って今年を振り返ってみます。

 

2012年のふりかえり

1. ICT委員会がすごい成果を残した

 私は沖縄高専ICT委員会の顧問をしています。これまでプロコンやパソコン甲子園などのコンテストで久留米高専を目標にしていました。実際、4月にプロコンをスタートするときに学生に対して、「久留米高専に必ず勝て!久留米に勝つことを目標にする!」と毎年宣言していました。それほどまでに、出るコンテスト出るコンテストで沖縄高専ICT委員会は久留米高専の後塵を拝していました。

 しかし、今年のICT委員会は予想以上の成果を残しました。詳細についてはこの記事を読んでください。 ことしのICT委員会は私の期待に応えてくれました。誤解を恐れずに言うと今年は久留米高専に勝てたと確信しています。それどころか、全国高専のトップクラスの成果を残せたのではないかと確信しています。

 この成果はひとえに優秀な学生が高い意識と目標をもってがんばった結果です。それに対して私はほんの少しだけ手助けしました。

  • 委員長のなっちゃんとのコミュニケーションを心がけた
  • 必要なものを積極的に購入し、予算面で心配をかけさせないようにした(物量作戦)
  • 4月のはじめに私の1年生の授業でICT委員会の宣伝をして、新入生を大量に入部させた
  • 基本的には学生のすることを黙ってみていたが、方向性を見失っていたり、行き詰まっていると感じたらほんの少しだけ助言した
  • 学生に関わる時間をできるだけ確保した

来年も今年のような成果を残せる保証はありません。特に久留米高専は沖縄高専をターゲットとしてくるに違いありません。沖縄高専ICT委員会にはまだまだ課題があります。次のプロコンのシーズン入りを前に委員長のなっちゃんと副委員長のきっきと一緒にもっとすごい成果が出せる体制を作っていきたいと思っています。

 

2. ETロボコンの沖縄地区実行委員会委員として活動した

 ETロボコンは一昨年から取り組んでします。沖縄県の組み込み技術の向上を目的に活動しています。これまでは審査など運営の仕事をしていましたが、今年は、沖縄高専の学生にチャレンジさせました。沖縄高専チームは地区大会で残念な結果にとどまりました。来年は地区大会を制覇し、チャンピオンシップ大会(全国大会)出場が目標です。

 

3. 一般社団法人IIOTの外部評価委員に就任した

 いろいろな人のつながりもあって、一般社団法人IIOTの外部評価委員に推薦していただき、就任しました。沖縄県のIT産業の振興に寄与できたらと微力ながら協力させてもらっています。  この就任は前職との人のつながりを発端になったものです。改めて、信頼できる人とのつながりの大切さを実感しました。

 

4. 沖縄から山口まで車を陸送した

 3月に山口にいる大学生の娘のために沖縄から山口まで車を陸送しました。陸送とは言っても、鹿児島まではフェリーを使いました。沖縄から鹿児島まで一昼夜の25時間かかります。フェリーに乗っている間は携帯が使えないと思っていたので、何もしない(できない)時間を楽しもうと計画していましたが。実は航路が島伝いになっていたため、ほとんど携帯が圏内(ソフトバンク)でした。おかげでゆっくり本を読むことなく、ずっとTwitterで意味のないことをつぶやいたり、Twitterで学生の就活指導をしてしまいました。自分が廃人であることを自覚した旅でした。

 

5. 大腸ポリープの切除手術をした

 春に発見された大腸ポリープを8月に切除しました。ここで詳しく書くのはアレなので割愛しますがつらかったです。切除したポリープは検査で良性だったため安心しましたが、何個か発見されたポリープの一個だけ切除したので、来年の春にはまた切除をしなければいけないので、今から憂鬱です。

6. 11月に27連勤した

 ICT委員会の活躍のおかげで11月は毎週末、学生を引率するため、福島、東京、愛媛に出張しました。10月もほとんどの土日のどちらかは出勤したので11月から12月にかけて、ほとんど休日が取れませんでした。
 来年は今年以上にICT委員会が活躍することによって、私の休みがなくなるのを楽しみにしています(自虐)。

 

まとめ

 今年はICT委員会の活躍を通して、沖縄高専がいろいろな方面から注目された年でした。注目されすぎている感があります。これでよいのか。もっと地に足をつけた活動が必要なのではないかと自問自答しています。
 しかし、生き生きと楽しそうにデスマっている学生をみると、やつらの限界を試してみたいという誘惑に駆られます。


 来年もM教授はがんばっていきますので「M教授を煽らないでください」

デスマらなければ楽しくないよ☆(仮)

2週間ほど前から「書きたい」気持ちが高まってきたので、今日の出張の帰りに飛行機の中で1時間ほど書きなぐってみました。

書いてみて分かったこと。

 

  • ストーリ展開を全然考えていない
  • 主人公「菜摘子」のキャラが定まっていない
  • 描写力がない。特に主人公のモノローグと心理描写が書き分けられない
  • 文体が定まらない

 

ちょっと勉強の余地ありですね。

 

出直します...

 


 

「きゃはうけるー☆」

 

菜摘子の大きな声が部室中に響いた。ノートPCをのぞき込んでいる1年生がこわごわと顔を上げ、なにも見なかったかのように、ノートPCに顔を落とす。

 

「先輩、また電気止められちゃったんですか。2度目・・・ん?3度目ですよね」

「菜摘子に頼まれた開発やってたけど、いきなり電気とめられちゃって、そのうち充電切れちゃうし・・・」

「だから、ソースがGitに上げられてなかったんですね。きっと先輩のことだから、開発しないで2次元キャラばっかみてたんじゃないかなあって」

「そんなことない。ちゃんと菜摘子に頼まれた開発やってたけど、電気止まっちゃったから、もう終わりだと思って、ノートの残ったバッテリでこんなアプリつくってみたんだ。ほら、見て、菜摘子。なでこかわいいボタンっていうんだ。このボタンを押すと『なでこかわいい』ってツイートが自動的に送信されるアプリだ。ほら・・・ツイートされたでしょ」

「先輩!あと1ヶ月でプロコンなんですっ!遊んでないでちゃんとアルゴリズム実装してくれなきゃ困ります!」

「うう・・・3次元は害悪!」

 

菜摘子は琉球高専の3年生。ICT研究会の部長をしている。プロコンを1ヶ月後に控えここ最近気が立っている。変人が多いと言われる高専の中でもICT研究会はとびきり変なのが集まっている。

 

電気代を払わず電気を止められても全くこりない、くま。4年生。

プログラミングをする部活なのにいつもジャグリングをしているゴヤ。3年生。

マニアックな技術にのめり込むにゃお。目下、ショートコーディングに夢中。3年生。

ブレッドボードに電子部品をのっけていつも楽しそうな、まるさ。さっきも抵抗から煙を出していた。3年生。

数学が得意でアルゴリズムの勉強に余念が無い、まさよし。定期試験の半数の科目で100点をとっている。2年生。

こんなやつらをまとめ上げないとプロコンに出品するシステムが完成しない。

彼らの他は、入部したばかりの1年生である。1年生にはプログラミングの基礎の実習をさせている。今は10人ぐらいいる1年生だが半年後に2人残っていたらいいほうだ。

 

「菜摘子の声はいつも大きいなあ。廊下まで聞こえてたよ」

M教授がのっそりと部室に入ってきた。

「きょうじゅっ!こいつら何とかしてくださいよ。全然開発が進まないんです」

「そうそう菜摘子。忘れてたんだけど、プロコン事務局に提出しなきゃいけない書類があってね。至急書いてくれるかなあ」

「あ、いいですけど、いつまでですか?」

「それが・・・あの・・・悪いんだけど、今日の5時まで・・・」

「えっ、今4時じゃないですか。あと1時間・・・。この書類いったいいつ教授のところに来たんですか?」

「えっ・・・1ヶ月ほど前・・・」

「教授!急いで書いて、メールで送りますから研究室で待っていてください」

「いつも悪いね菜摘子」

 

「ほんっとに教授も含めてどいつもこいつも使えないヤツばっかり」

菜摘子はぶつぶついいながら、キーボードを猛烈な勢いでタイプし始めた。

 

(続く)

 

 

沖縄高専がIT系コンテストで強くなった本当の理由

 沖縄高専ICT委員会は今年、IT系コンテスト総ナメといったら少し大げさ過ぎるかもしれないが、それに近い成績を残した。

 具体的には下記の通りである。

  • TI-RA ビジネスプランコンテスト
    • グランプリ受賞
  • 第5回沖縄学生ビジネスアイディアコンテスト
    • 審査員特別賞
  • ニフティ秋のアプリ発表会
    • 「アイデア賞」「使ってみたい賞」

       ※3つの賞のうち2つの賞を独占

 

 参加するコンテストの全てで何らかの受賞をした。

 これだけの成果を出すと沖縄高専が全国の高専からマークされるのは当然である。私もいくつかの高専のプロコンを指導する先生からプロコンの取り組みについていろいろ質問されたし、委員長のなっちゃんにも直接的、間接的にICT委員会の活動内容について聞かれたようである。

 沖縄高専の今年の強さは次のような要因であると分析できる。

  • 部活動としての継続性をもった組織的な取り組み
  • なっちゃんを中心とする団結力の強さ
  • 専攻科2年生のぴんくのカリスマ性、リーダーシップ、プレゼン力の影響
  •  なっちゃんの独裁による開発体制や方針の決定
  •  沖縄高専四天王、くままるさgyにゃおの開発パワー
  • 開発チームを上級生だけで固めず1、2年生を入れて経験を積ませるチーム編成
  • ICT委員会は勉強会からスタートしたことに起因する先輩が後輩を教えるDNA
  • デスマをつらくてやりたくないというより、楽しいことでまたやりたいと思う意識の高さ 

 これらの要因に学生のがんばりが今年の成果に繋がっている。なっちゃんをはじめとする沖縄高専ICT委員会の学生はどんなに褒めても褒めすぎることはないことは断言できる。

 

 しかし、実はもう一つの大きな要因があることを指摘したい。私、M教授は6年前に今日の成果を出すための戦略をたてたのである。去年、プロコン特別賞を受賞し、その前兆が現れたのだが、今年やっと花開いた。それは、沖縄高専メディア工学科が採用した新しい入試方法に始まる。

 

プロコン制覇のために6年前から準備してきた結果である

 

  沖縄高専は9年前に作られた新しい学校である。開校当初から入試倍率も比較的高く優秀な学生が入学してきたが、総じて優等生タイプでとんがった特徴が薄く面白みにかけていた。そこで、情報工学に強い適性をもっている中学生を優先的に入学させるために、メディア情報工学科は独自の入試『専門実習入試』を導入した。

 

 専門実習入試は受験生に実習形式の授業を行い、実習内容に関するテストを実施して合格者を選抜する入試である。実習の内容は中学生にとって初めて触れるものなので、新しいことに対する理解力やセンスを問うのが特徴である。中学での成績については一定水準を満たしていることを確認する程度で、オール5だからといって合格しやすいとはがぎらない。あくまで、実習での成績を重視する入試を実施し、毎年6,7人の専門実習入試で入学してくる。

 

 思惑通り、専門実習入試でとんがっているヤツが入学してきた。専門実習入試で入学した学生は当然のようにICT委員会に入ってくる。その結果、今のICT委員会の主要メンバーは専門実習入試で入学した学生が占めている。

 

 専門実習入試を実施してから今年で5年が経過し、今年になってやっと本科全学年に専門実習入試で入学した学生が揃った。

 

 5年前に入試制度を変えて、IT系コンテストで全国の高専と戦える体制を作ってきた結果が今年の沖縄高専ICT委員会の成果として結実した。これが、

 

沖縄高専がIT系コンテストで強くなった本当の理由

 

である。

 

 

100点とれますか?

この記事は Kosen Advent Calender By Teachers の12月13日の記事です。

Kosen Advent Calender By Teachers 参加を機にブログを始めました。

この記事がブログの実質的な最初の記事になります。

 

 前回は長野高専の伊藤先生でした。私も福山雅治になりたい(いろんな意味で)と思いました。

 


 

 まずは自己紹介から。今日12月13日を担当する正木は沖縄高専メディア情報工学科の教員です。Twitterでは@m_kyoujyuのアカウントでしょうもないつぶやきをして学生から煽られています。

 

 沖縄高専は9年前に開校した全国でもっとも新しい高専です。私は1期生が入学する2日前に沖縄高専に赴任してきました。沖縄高専に来る前は某家電メーカーの研究所で組込OSを中心に14年間研究開発してきたソフトウェアエンジニアです。縁あって沖縄高専の教員になりました。授業は1年次のプログラミングI、2年次のプログラミングⅡ、4年次のOSとコンパイラを主に担当しています。

 


 

 プログラミングという科目は学生の能力差や好き嫌いの度合いが大きく分かれる科目です。そのため苦手な学生が嫌いにならないように工夫しながら授業をしています。テストでは平均点が80点になるようさじ加減しながら問題を作ります。そうすると、赤点が1~2人ぐらいのちょうどいい感じになるんですね。でも、平均80点ぐらいのテストをすると得意な学生がドヤ顔で100点をとる。問題を作る方からするとこれはとても悔しい。負けた感じになります。

 そんなとき学生から物理の先生が100点阻止問題を出しているということを偶然耳にしました。

 

『これだ!』

 

早速作ってみました。

 

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2007年2年次プログラミングII後学期期末試験(無題)

 

 100点阻止問題を作り始めてしばらくはこういった少し応用をきかせた問題を出題していました。 あるとき、問題をつくる時間がとれたことと沖縄高専が継続して出場するようになったパソコン甲子園の問題にインスパイアされてストーリー仕立ての問題をつくってみました。A4で4ページの大作です。

 

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2009年1年次プログラミングI前学期期末試験『M教授の佐世保出張』

 

 M教授のキャラクタはこのとき誕生しました。M教授が作りかけて出来ないプログラムを学生に作らせるとストーリ展開はその後の100点阻止問題の定番のパターンです。この問題のようにM教授は自虐的で少し残念なキャラに描いている問題が多いのですが、それではあまりにもアレなので沖縄を実際に襲った台風をモチーフにシリアスな展開をかっこよく振る舞うキャラとして作ってみたのが次の問題です。

 

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2011年2年次プログラミングII後学期期末試験『裏卒研テーマ』

 

 M教授の謎めいた行動がなんとなくデキる教員を演出しています。

 100点阻止問題はこのような現実世界を舞台にしたものだけではなく、その時々に学生の間ではやっているもののパロディをして作ったものもあります。映画『ハリー・ポッターと謎のプリンス』を観た直後に作った問題がこれです。 

 

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2009年2年次プログラミングII後学期中間試験『M教授と謎のプログラマー』
 

 この問題を作って発見したのは面白く長い問題文を書くと読むのに時間がかかったり、笑ってしまってテストに集中出来なくなることで100点を阻止できるということです。これだ!と思って調子にのってこんな問題を作ってみました。

 

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2010年2年次プログラミングII後学期中間試験『高専補完計画』

 

 この問題は最後の部分の予告の部分を書くためだけにDVDを借りてきたり、世界観を調べたりと結構苦労しました。しかし、その甲斐あって試験中にあちこちで笑い声がしていました。

 アニメネタが高専生に効果があるのが分かったので、これを作ってみました。

 

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2011年2年次プログラミングII後学期中間試験『こんなの絶対解けないよ』

 

 この問題はアニメを見ながらセリフをいったん書き下ろしてそれを変更する形で作りました。この問題を手にアニメをみるとその苦労がわかってもらえるはずです。

 また、時事ネタも問題の素材にしてみました。

 

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2011年2年次プログラミングII前学期期末試験『ONCT63選抜総選挙

 

 M教授のキャラの描写が一部混乱していてよく分からなくなっていますが、AKB総選挙をビデオにとったり、大島優子のスピーチを書き下ろしたりして地味に苦労した問題です。内輪ネタがかなり入っているので沖縄高専関係以外の人が読んでもよく分からないところがあると思いますが、学生にはそれなりにウケたので自分ではそれなりに満足しています。

 いろいろと試行錯誤しながら問題を作ってきたのですが、ストーリーがちょっとマンネリ化してきたので現実の学生をキャラとして登場させてみました。それぞれのキャラがキャラ立ちするようストーリーをミステリータッチにしてみました。

 

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2011年1年次プログラミングI前学期期末試験『M教授 vs. Professor J.』

 

 前作のエンディングに余韻を持たせてしまったので、1年後に続編を思わず作ってしまいました。連作は初めてです。

 

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2011年1年次プログラミングI前学期期末試験『Professor J.の逆襲』

 

 この問題を作って後で気がついたのですが、通常の小説では「誰が発したセリフか」を書きますが、これは「誰にあてて発したセリフか」が表現されています。これはTwitter小説の新境地を切り開いたのではないか。この手法いける!と密かに盛り上がっています。

 

 今回はこれまで作った100点阻止問題を9問紹介しましたが、2007年に作り始めてからこれまで25問作っています。全てを紹介するのは大変なので、今回はこのくらいにします。

 


 

 ここまで読んでいる人は気がついていますよね。そうですよ!その通りですよ!完全に目的と手段をはき違えていますよ!自己満ですよ!テスト時間中には半分の学生も読んでないことは知っていますよ!逆ギレですよ!でも、これくらいの遊び心くらいあったっていいんじゃないかと!

 

 という感じで、沖縄高専メディア情報工学科の学生は試験のたびに私の自己満につきあわされているかわいそうな学生たちです。同情してあげてください。

 

 ところで、この記事を読んでいる情報系の高専生諸君。私のテストで

 

100点とれますか?

 

次は鈴鹿高専の白井先生にバトンタッチです。